歴史と慚愧

四月十七日(金)晴
戰争や動乱や權力闘争といつたものに余り興味はない。余が歴史といふ言葉で考へるのは、寧ろ平時の普通の人の暮らしや感じ方や考へ方の方である。取分け江戸中期から後期の人々に關心がある。勿論直接その時代の人々の姿を見たり彼らに本心を聞いてみることも出來ないから、殘された史料を讀み解いて想像する訳である。さうなると必然的に手紙や書籍といふ形で今に殘るものを書き置いた文人や醫師といつた人たちに注意が向くことになる。特に彼らの學問の中味や勉學の仕方、そして彼らの間の交流や交遊の様子に興味がある。と、偉さうなことを言つてゐるが、興味を持つて色々な文献を讀めば讀む程自分が何も知らずに半世紀以上をうかうかと生きて來た事に気付かされて、愧ずる氣持ちで一杯になる。もつと詳しく知りたいし、深く知る爲の前提となる知識教養を少しでも躬に付けたい。何事かを爲すには遅すぎるかも知れないが、今は現實に背を向けて歴史に没頭したい。此の營爲が余にとりて最善の現實逃避であるのは明らかなので猶更なのである。
ところで、井岡道安や江戸期の醫學について知る過程で、余の興味關心に極めて近い領域の研究をされてゐて、其の著作を讀んで博識と慧眼に驚いて尊敬するに至つたのが、二松學舍大學の町泉壽郎教授である。漢文が讀めて儒學が分かり、しかも日本醫史學會に所屬して醫學館や吉益家に關する論文もものするといふ、目下の余にとりて全くスーパースターの如き方である。かういふアカデミズムの正殿にいらつしやる學者に對すると、余が書き綴つてゐるものなど恥かしくて隱してしまひたくなるのであるが、それでも知己を得て研究の方策や、専門書に載つてゐない基本的な事柄を質問出來たらどんなに素晴らしい事だらうとは思ふのである。ただ、大學の先生といふのは、一般人が突然手紙を差し上げてもまづ反應を返してはくれない。今まで専修大學の濱崎加奈子や明治大學の鹿島茂にかなり丁寧な手紙を書いて出したのだが、全く以て梨の礫である。余のやうに何程の者でもない場合、無視されるのである。一方で、シンポジウムのパネリストとして同席したり、共通の知人を介したりして違ふ形で出會つた場合は、全く余計な権威主義を感じさせずに親しくして戴いてゐる方も多い。要は知己の得方なのであらう。前二者は結果として知己を得なくても構はなかつた訳だが、町先生とはさうした殘念な形にしたくないので、良い機会を待ちたいと思ふ。
其れにしても「醫史學」といふのは中々奥深い世界で、「醫學史」と「哲學史」「科學思想史」、「本草學史」「植物學史」「薬學史」そして「文献學」や「文學史」「社會史」等が渾然一體となつてゐる。醫師をしながら實に細かい處まで調べてゐる人も多い。江戸期の醫學や本草學關係の版本や寫本は今でも相當出回つてゐるが、經済的に余裕のある醫師にさういふものを買ひ求める人が多いせゐか、どれも大變な値段になつてゐる。研究対象と研究者との關係によつて、書価の動向も違つて來るもののやうである。