2014-01-01から1年間の記事一覧

槍持ち

十月十七日(金)晴 蹴球の試合をする為に、日本代表の若手が運轉する車に乘り、河川敷を大迂回して着いたところは料亭風の建物である。初老の小柄な主人が背広姿で出迎へてくれ、余と家人を中に通すと成程ご馳走がたくさん出て來る。其の後余は遂に試合に出る…

勉強

十月十五日(水)陰後雨 昨日より古文書解讀の勉強を始める。讀みたい古文書があるのに、今までのやうな遣り方では歯が立たない事がわかつたので、遠廻りでも一から學んだ方が早いと思つたのである。自分の興味と關係ない文書でも、江戸期のものであれば時代の…

天徳寺吉祥寺

十月十一日(土)晴 午前家人の通院に付合ひ神田和泉町に赴く。其の後地下鐡にて神谷町に至る。徒歩天徳寺を訪れ、津山松平家藩主の墓を掃はんとするも見つからず。問へば昭和初期に改葬されしと云ふ。歴史書の多くは其の事を伝へず、當初の墓所のみ記す為に無…

今どきの小學校

十月八日(水)晴後陰 やり殘した學期があるといふことで、三學期だけ三鷹市立第一小學校に編入することになつた。場所は昔と變はらないが校舎は新しくなつてゐる。校門には新學期のせゐかたくさん人がゐてお祭り騒ぎである。外人の母親らしき姿もちらほら見え…

煎茶五流

十月五日(日)陰後雨 昨日に續いて着物を着て九時前宿を出る。驛ビルにて晝食を購ひて後、徒歩渉成園枳殻邸に赴く。先日會食せしI氏夫人が属する煎茶道流派も席を出す、互流會の茶會の會場である。十時からの開始なるも颱風も近づく事なれば、出來う限り早く…

京都満喫

十月四日(土)陰 九時過ぎ宿を出で徒歩御池通りから小川通りを上がつたМ染工にお邪魔する。匂ひ關係で懇意にして戴いてゐるT氏の御令妹の婚家にて、友禅その他各種染物を生業とする老舗也。T氏のご紹介により初めて訪問するものにて、着物好きの余等に江戸…

二日目

十月三日(金)陰晴不定。暑し 七時半余ひとりにて宿を出で三条通りを東進、途上進々堂にて朝食を取り京阪電車でなにわ橋まで往く。九時過ぎ中之島圖書館に着く。電話にて予約せし書物を借り出し閲覧、必要箇所を複寫す。木村蒹葭堂に關する史料也。其れから京…

仙洞御所

十月二日(木)陰 朝七時過ぎ家を出で新幹線にて京都へ。着いてまず驛の京都総合観光案内所に行き着物パスポートを貰ふ。それから烏丸御池の定宿に往き荷物を預けてから尾張屋まで歩き早めの晝食。余はざる蕎麦、家人は利休蕎麦を食す。相変はらず美味也。夷川…

骨董市

九月二十九日(月) 骨董市に出向き、中に店を構える一軒に足を踏み入れる。二階へと進むと階段の代りにスロープに二本綱が縦に降りてゐてそれを踏んで登るのだといふ。綱は踏むと少し広がり左程危険ではない。足型が取られて誰が昇つたか記録するらしい。二階…

澹澹

九月二十八日(日)晴 日々辛抱忍従以外に事も無し。自業自得、自縄自縛、因果応報。夢であきちやんの太腿に触れた事が唯一の果報か。讀書して身を持さんと欲するも、瑣事に煩はされる事のみ多し。肩痛去らず、平生の起居挙動にも難儀す。流石に何かの惡業故か…

禄隠五年半

九月十七日(水)晴 禄を食みながらも其の働きのない事を禄隠といふさうだ。余の此の五年來の姿である。心苦しい限りであるが、會社の御恩恵に感謝するより他はない。普通の人だと鬱になることもあるらしいが、さうなればいいのにといふ某役員達や其の腰巾着の…

《江の島のあまちゃん》

九月十六日(火) 下記は余の個人誌にて書きたる文章なるが、配信するも何の反應もなく、余りにうたてき事なれば、寧ろこれを広く讀まれる場に供するに如くはなしと思ひて載せるもの也 最近、江戸後期から幕末にかけての医者や本草家、蘭学者に興味を持ってあ…

不可能の憂鬱

九月八日(月)陰 五拾肩がまるで良くならない。毎日柔軟運動を繰り返してゐるのに、痛みは去らず可動域も拡がらない。 もうゴルフも水泳も、キヤツチボールさへ出來ぬのであらう。混んだ電車に乘ることも出來ない。押されて無理な姿勢から吊革に腕を伸ばす事…

米色青磁

九月六日(土)晴 十一時より一如庵にて稽古。其の後上野の國立博物館に往く。一時半から青磁に就いての講演『日本人が愛した官窯青磁と横河コレクションについて』及び『米内山陶片と米色青磁』を聞く。官窯に關する話や青磁と米色青磁が土も釉薬も同じである…

ホット・ショア

八月二十二日(金)晴 会社を休みリハビリテーション病院に往く。右肩や背中のマッサージを受け、可動域も少し広がり痛みも若干楽になる。肩や腕だけの問題ではなく、腰から背中も張っていて、そこからほぐす必要があるようだ。肩が痛むのでストレッチや軽い運…

マイノリティ

八月二十日(水) 右腕の可動域が極端に狭まり、いずれにせよ動かすと肩が痛むので左手で何事もするようになると、如何に世の中は右手優位に成り立っているかを痛感するはめになる。マウスはほんの一例だが、ズボンのチャックから駅の自動改札、エレベーターの…

諦念延長

八月十九日(火)晴 その時私は二十一歳だった。どういう状況だったかまるで思い出せはしないのだが、とにかく私は虚無を見た。「虚無に達した」と自分では言っていた。ああ、そういうことだったのだ、とすべての謎が解けた気がしたのである。物質や生命や時間…

読書

八月十八日(月)晴 ふと思い出すのは、思春期のころは他に楽しいことが何もないから本を読んでいたということだ。書物だけが友達だったと言い換えてもよい。孤独で人に馴染まない少年は、当然のことながら文学の与えてくれる感動や、哲学書が見せつける論理構…

甲子園

八月十七日(日)晴 終日メジヤーリーグ、高校野球、職業野球をテレビジヨンにて觀戰。甲子園では最近勢力分布に大きな變動が見られるやうだ。關東が全滅に近く、近畿、四國、九州、山陽と強豪古豪の犇めく地域から出た學校が早々と姿を消し、嘗ては初戰突破も…

白崎秀雄の本

八月十一日(月)晴 『鈍翁・益田孝』に續き、同じく白崎秀雄の著『三渓原富太郎』讀了。また此の本の後更に白崎の『当丗畸人傳』から長尾よねと朝吹英二の項を讀む。今では余り讀まれる事の尠い書き手であらうが、文章は確りしてをり、正字正仮名を遣ふのも好…

左手クリツク

八月七日(木)晴 會社で仕事に使ふコンピユーターの操作に際し、マウスを左手で扱ふやうにし始めた。五十肩の右腕の不如意如何ともし難く、右手でクリツクを繰り返すと肩の痛みが更に増すことに気付いたからである。左手は利き腕ではないから當然操作はたどた…

杜撰

八月六日(水) 同じく圖書館で借りた、松田延夫といふ人の書いた『益田鈍翁をめぐる9人の數寄者たち』なる本をぱらぱら捲つてみて驚いた。兎に角文章が酷い。言葉遣ひに落ち着きがなく、文が先走り、かつ話題が前後する。其の上杜撰である。行が飛んでゐたり…

小園のお銀様

八月五日(火) 渡邊崋山『游相日記』讀了。三一書房の「日本庶民生活史料集成」第三巻を借りて讀んだのである。是は他に高山彦九郎の「北行日記」や「菅江眞澄遊覽記」、古河古松軒の「東遊雜記」等を収める實に良い本だと思ふ。先日芳賀徹の『渡邊崋山‐優し…

凄まじき生命力

八月四日(月)晴後雲多し 嶺庵には明り取りの天窓がある。六十糎四方程の小さな曇り硝子の窓が天井に斜めに切つた形で嵌められてゐる。或る日見上げると其の窓の上を蔓性の植物が葉を伸ばしてゐる。前にも雨樋を傳はつて壁面を蔓が蔽つた事があり、今度も其れ…

眼福

八月朔日(金)晴後雨 會社を休み午前通院。午後家人と上野の國立博物館に赴く。台北・故宮博物院「神品至宝」展を觀る。汝窯の青磁、王羲之、徽宗帝の書と進んで、割と直ぐに蔡襄以下の宋の大家の書に至る。黄庭堅の三点に到つて足が止まる。草書花氣詩帖頁は…

温泉

七月二十四日(木) 未詳倶楽部で温泉に來てゐる。松岡さんもゐるし、知つた貌もちらほら見えるのに何事もなく夜になり余はそのまま寝てしまふ。翌朝宴会場のやうな広間に硯や筆があるのを見つけ、例の集ひがあつたことを知り後悔する。やがてやつとゲストと松…

中森玲奈

七月二十三日(水)晴 一年前、毎日朝が楽しみだった。「あまちゃん」を見ていたのだ。今日、中森明夫の『午前32時の能年玲奈』を読んだ。友人が面白いと言うので読みたかったのだが、買うほどでもないと思い図書館で予約を入れると24人待ちという状況で、それ…

田原

七月二十日(日)晴時々雨 朝宿を発ち渥美半島田原市に赴き田原城址、同博物館、崋山神社、池ノ原会館等を訪ふ。崋山が蟄居し最後には自刃して果てた池ノ原の地にある全樂庵にて抹茶を喫して崋山を偲ぶ事頻り也。 博物館では、松林桂月の師野口幽谷が崋山の弟…

遠州

七月十九日(土)陰時々雨 朝七時過ぎ車にて家人と出発、途中混雑あるも新東名にて晝頃奥濱名龍潭寺に着く。近くの店にて鰻重を食した後拝観。實に二十九年振りの再訪也。遠州作の庭を見る。其の後磐田に行き余の旧居及び當時働きたる工場等を見る。周囲の雰囲…

普及版を望む

七月十八日 高橋箒庵の日記『萬象録』を讀んでゐる。慶応義塾で福翁の知己を得て時事新報の記者となり、欧米に遊んだ後三井に入り三越の近代化などに辣腕を振るつたものの、五十で事業から退いてからは茶の湯を中心とした趣味に遊ぶことを専らとした、明治大…