2014-01-01から1年間の記事一覧

野菜中心

七月十七日(木)陰 野菜中心の食事にして久しい。無農薬有機野菜をたくさん食べ、肉は滅多に食べず、魚もときどき摂る程度、米も極力減らし白米だけではなく玄米や雑穀も食べる。買ふ野菜の量は従つて大量となり、買ひ出しに多大な勞力を要するやうになる。い…

成金趣味

七月十六日(水)晴 最近成金に興味を持ち、あれこれ調べてゐる。広瀬隆の『持丸長者』を買ひ、昨日は古本屋で荒俣宏の『黄金伝説』を手に入れた。先日届いた紀田順一郎の『カネが邪魔でしようがない』も明治大正成金列伝の副題を持つものであるし、大正期の見…

かへしふみなし

七月十一日(金)晴 或る大學にて准教授を勤め給ふ濱崎某といふ御仁に香木の銘につき教へを乞はむとて禮を尽したる文を送りしところ、何とても音沙汰かへりふみもなく過ぎぬ。嘗て同じく香りにつき鹿島某なる教授に文遣りたることありしが、同じく反古にして捨…

一覧表

七月八日(火)晴後陰 松岡先生は年表を作れと言ふ。分野やジヤンルを横斷する意外な関りに氣づき、より大きな時代理解につながるからであるらしい。余も幕末から明治・大正までの、香料や石鹸業界の年表は作りつつある。これはまあ、壮大な計畫で少しづつ進め…

悦讀

七月六日(日)陰 高橋箒庵の日記『万象録』の大正七年の部、そして『東都茶會記』の同じ時期に書かれた第四巻を併行して讀む。此の年は水戸徳川家、稲葉家、近衛家などの蔵品売立があり、箒庵が奔走する様や船成金の動向など分かつて面白し。最近、鳥渡妙な事…

四苦八苦

六月三十日(月)陰 熟々思ふに思春期の頃の余にとりて、文學とは社會や他者から逃れる為の手段に過ぎぬものではなかつたか。身の廻りの人間や同じ時空に生きてゐる人たちとの関りをとにかく厭ひ、此の世の孤独は生得と諦めて、僅かに過去の文人や詩人たちの殘…

閑中亂雑

六月二十八日(土)陰時々雨 久しく持たざる閑暇を得てさて思ひ寄せたることどもものさむとて、先日複寫せし文書など取り出ださむとすれども見つからず。用なきまま溜まりたる反古を捨てつつ探せどもさらに無し。疲れ果てて竟に筆とることなく止み侍りぬ。 夜…

版本寫本

六月二十五日(水)晴後陰時々雨 余の誕辰也。航空會社二社と銀行から祝のメール届く。 此処數日香道関係の調べ物のため版本や寫本の類を讀んでゐる。群書類従に収められた名香録や『五月雨日記』等である。香銘と其の典拠となる和歌の関係、更に其の香木の香…

山口昌男の再発見

六月十八日(水)陰後雨 山口昌男の名は知っていたし、学生の頃その手になる文化人類学や記号論の本も少しは読んでいた。ところが、その後不覚にも山口の著作活動に関して全く関心を持たずに過ごして来たのである。今回『内田魯庵山脈』を読んで括目し、現在著…

誕生日

六月十五日(日)晴 朝七時より蹴球世界杯伊太利對英吉利戦を観る。伊太利勝つ。九時車にて家人の實家に行く。晝過ぎ出で二時より如道會例會に出席。S田先輩より此の日乘復活したる後家人に就いての言及なく家庭不和等を心配せられたる旨承る。元より杞憂にて…

規則絶妙

六月十三日(金)晴 余は野球を愛する。其のルールや規定に於ける様々な絶妙といふべき按排に敬意すら抱いてゐる。例へばベース間の距離であり、投手と本塁の距離である。後者があと僅かでも短かつたり長かつたりすれば、現在の大方の變化球は意味がなくなるで…

急遽歸濱

六月十日(火)晴 朝目覚めるに痛み依然としてあり、左足を引き摺らねば歩行も叶はず。取り敢へずタクシーにて大阪支店に赴く。相談の結果午前中の用談は止むを得ずして出席し、其の後近くの整形外科にて診察を受くることになる。晝前診察及びヱ氏線検査の結果…

人災

六月九日(月)晴 出張にて山城國に赴き、午後香水市場概況につき得意先に對し説明を為す。無事終へて營業車にて山科驛まで送られ、余は扉を開け車を降りんとす。然るに營業のT内といふ若僧何を思つたか突然車を発進させ、地上に片足を降ろした余は荷物と倶に…

鎌倉行

六月四日(水)晴後陰 夜、崋山『遊相記』を讀む。文政四年に崋山が鎌倉から江の島に掛けて歩いた際の記録也。よく知る場所多く面白く讀む。

大江戸江戸明治

六月朔日(日)晴、暑し 午前大江戸骨董市に赴き、澤蟹の飾り物及び小さな木製の花台を購ふ。其れから上野に出で人混みの中、國立博物館に往く。新収品展示室にて是眞の水墨画を見る。其の他本館内を観覧し、没倫紹等賛一休和尚像、高村光雲作老猿等、美術史上…

備忘録

五月三十一日(土)晴、暑し 圖書館にて數書を借りて歸る。内一冊の『激動期の美術』より柴田是眞に触れた「漆中筆あり」を讀む。是眞の墓の淺草今戸称福寺にある由を知る。又、是眞の弟子泰眞と鏑木清方一家の親しかつた事、是眞が京遊学中、香川景樹に歌を学…

現代の文庫

五月二十九日(木)晴夕刻驟雨 歸途藤澤の古書肆と新本屋を廻り數書を得る。今日購ひし山口昌男の『内田魯庵山脈』が面白さうである。此の処岩波現代文庫の青版と赤版を讀む事が多くなつてゐる。一時講談社學術文庫ばかり讀んでゐたこともあつたが、今は現代文…

蹴球の試合

五月二十六日(月)陰 遅刻の心配をしながら朝の支度をしてゐる。洋服箪笥の中から短パンを引つぱり出し、さう言へば今日蹴球の試合があることを思ひ出す。それで試合に相応しいTシヤツも出し、スパイクも必要になるのだが持つてをらず、仕方がないので自轉車…

此の頃の生活

五月二十三日(金)晴後雨後晴 朝六時起床。洗顔の後嶺庵に移り坐禅一炷、さらに臨書。半紙三枚、各六文字なれば計十八字を書く。相變らずの黄庭堅である。筆を洗ひ終はれば既に七時。玄米粥に澤庵梅干の朝餉を摂り、其の後入浴。頭髪を整へ歯を磨き服を着替へ…

謹告

四月十四日(月)晴 昨今小生少々思ふ処御座り、大袈裟な言ひ分にて恐縮に存じ入り候へ共、人生に於ける優先順位及び生活の様式乃至時間の使ひ方配分を變へむ事を決意致し候。又、老後の生活の覚束なく家計の苦しかるべき事を漸くにして開悟致し候へば、少々の…

ポジテイヴ詐欺

四月九日(水)晴 世上ポジテイヴ・シンキングとかプラス思考といふ考へ方或は姿勢がある。余がさういふものを好まない事は言ふまでもないが、まあ他人がさういふ姿勢で元氣に生きてゐることにとやかく文句を言ふつもりはない。ただ、困るのはさうした姿勢や考…

寮の風呂

四月七日(月)陰 夢でよく寮の風呂が出て來る。番臺のある風呂屋風のこともあり、温泉と思はれるやうな、廊下から階段を下りて行く大浴場のこともある。實際に余は會社の三箇所の獨身寮に居た事があり、各々大きな共同風呂のスタイルであつた。その記憶からな…

一勝一敗

四月五日(土)雨 午前中テレビにて田中将大投手登板試合を觀戰。大リーグ一勝を挙ぐ。午後臺所の什器等の配置替へを為す。置き方次第で廣くなるものにて家人喜ぶ。夜能年玲奈嬢出演の短編ドラマを見る。適當に作つたとしか思へぬ愚作にて、當該テレビ局の愚劣…

食べ物日誌

三月二十八日(金) 晝、米澤牛の鋤焼き。夜、東京軍鶏の水炊き、焼き鳥、唐揚げ等。ビール、麦焼酎、熱燗。 三月二十九日(土) 晝、ねぎとろ巻、かつぱ巻、卵焼き。プチトマト。夜、レバーペースト、ブリ(チーズ)、バゲット、コンプレ、ボルドー赤ワイン。苺。…

宿酔

三月二十五日(火)晴 吐き気や頭痛はないものの、眠けと怠さの殘るまま出勤。休暇中のあきちやんの居ない職場は味氣ないこと此の上なし。仕事は割に多く、澤山処方を作る。定時退社、歸宅後尺八を吹く元氣なく細筆での黄庭堅碑文下書きの臨書を為す。夕飯前丁…

掃苔の會

三月二十四日(月)晴 會社を休み八時半家を出で一如庵に赴く。十時半より尺八稽古。其の後神先生と鶴巻町キヤトル・フオンテーヌにて午餐。更に倶に早稲田より都電にて雑司ヶ谷に到る。文人墨客の墓を廻る第二囘掃苔の會にて、待合せの都電停留所脇に参ずる者…

彼岸

三月二十三日(日)晴 家人と車にて元麻布長玄寺に赴く。日向は暑き程の好天也。實家の母親と妹及び甥夫婦の來るも全員悉く無愛想極まる對應也。余が花代管理費を寺に納めるも礼の一言もなし。月々僅かなれども仕送りを續けたる事に對しても當然と思へるにや、…

小津好み

三月二十一日(金)陰時々晴 朝書道をして朝食方々高校野球開会式及び第一試合を観た後晝過ぎ和服にて家人と外出。鎌倉驛より徒歩鎌倉文学館に至る。小津安二郎生誕百十年の所蔵品展を観る。小津の遺愛の品々を見る。スーツや着物、スヱーターなどあり。又手帳…

桐生伊香保

三月十九日(水)陰時々晴 有給休暇消化促進の為會社を休み家人とドライヴに出づ。首都高途中混雑もあり、晝前桐生織物記念館に着く。桐生はかつて西の西陣と並び称される程の絹織物の産地にて、織物産業の一端に触れん事を期して赴く。街並みは普通の地方都市…

徒然棚

三月十六日(日)晴 茶の湯稽古日。其の後十六號線沿ひにある古建具や欄間、古家具の専門店古福庵に赴き、家の飾りに為す欄間飾り等を探すも寸法の合ふものなし。氣長に探すより他なからん。夕刻尺八を吹き、鋤焼の夕飯を食して後歸宅。肘の関節痛を覚ゆ。