此の頃の生活

五月二十三日(金)晴後雨後晴
朝六時起床。洗顔の後嶺庵に移り坐禅一炷、さらに臨書。半紙三枚、各六文字なれば計十八字を書く。相變らずの黄庭堅である。筆を洗ひ終はれば既に七時。玄米粥に澤庵梅干の朝餉を摂り、其の後入浴。頭髪を整へ歯を磨き服を着替へて七時四十分家を出る。九時より就業。晝休みには主に蕎麦を食堂にて食し自席に戻つて讀書の後二十分程午睡を取る。五時十五分終業とともに直ちに歸途に就き六時二十分歸宅。嶺庵にて尺八稽古を為す。昨今は流し鈴慕と布袋軒鈴慕を二尺一寸で吹く事多し。七時二十分譜面及び竹を片付け夕食。生野菜中心の簡素な食事なるも食後にコニヤツクを喫することもあり。食器を洗ひ風呂の掃除を為し終れば大體八時半となり、書斎飄眇亭に赴き大室幹雄先生の名著『月瀬幻影』を繙く事日課の如し。頼山陽、菅茶山を始めとした有名無名の江戸後期漢詩人たちの交流や生態、そして彼らの思考や嗜好の背景や来歴を遍く説き明かし、彼等の精神活動及び社會的動向に近代の萌芽を見るといふ瞠目すべき畫期的労作である。廣汎な知識と古典籍に関する造詣に裏打ちされた詩文の讀み込みは勿論、時代の胎動や社會の変動への目配り等括目に価する事頻頻と云ふべし。余は昨今大室先生の著作に接して目を見開かれた思ひ強く、密かに私淑す、中國古代よりの都市と文學、文人と山水を扱ふ一連の著作にも今後親しまんとす。夢中に讀み續ければあつといふ間に十時となり、書斎を出で寝に就く。日々此の繰返しに過ぎざる而己。