四苦八苦

六月三十日(月)陰
熟々思ふに思春期の頃の余にとりて、文學とは社會や他者から逃れる為の手段に過ぎぬものではなかつたか。身の廻りの人間や同じ時空に生きてゐる人たちとの関りをとにかく厭ひ、此の世の孤独は生得と諦めて、僅かに過去の文人や詩人たちの殘した詩文に慰藉と喜びと幾許かの繋がりを感じ、想像裏の風景や登場人物への共感に些々たる慰めを感じてゐたのであらう。文才や美意識は迚も同じ域に達してゐないのに、孤独であることだけを頼みに自らをさうしたすぐれた詩人作家達と同族であるかのやうに思ひなし、従つて現世の人たちと慣れ親しむことを己に禁ずる処さへあつた。言ひ換へれば、孤独を堪へ忍ぶために余計に孤独を求めざるを得なかつたのである。怨憎会苦の故に愛別離苦を恐れてゐたとも言へやう。今にして思へば、其れは孤独ではなく孤立であつた。
此の人嫌ひな狷介な性格が災ひして、會社に入つても上司や他者に媚びる事も靡く事も出來ず、そして又傑出した能力も持ち合せなかったから、到頭大した仕事も為さぬ中に窓際に追ひ遣られ隠居の身となつて早や五年が過ぎた。敗殘の姿を日々晒しつつ、然りとて轉職も叶はずおめおめと出仕する事、誠に慙愧に堪へない。とは言へ、世に容れられぬ己が愚昧さを嘆いたとて今更どうにもなるものではない。求不得苦や五蘊盛苦は人間の逃れられぬ宿命であるし、少しは社會の仕組や世の中の情實を領解出來るやうになつた自分には、こと其処に到る道理所以は痛い程分かるからである。ただ、さうして悔悟と諦念に馴染み過ぎた余に、起死回生を期す氣力は最早殘されてはゐないといふまでのことである。
では此の孤立無援、良く言つて独立不羈を保たんが為に文學に囘歸出來るかといふと、其れさへ今の余には心許ない。讀書に慰藉は見出せても、文學への期待や憧憬は失つて久しいからである。では他に何かあるであらうか。茶も花も香も、そして竹さへも、此の堪へ難き日々の苦渋をほんのひと時忘れさせてくれる丈の言はば対処療法であり、根本治癒から遥かに遠い。然れば快癒の為には、佛道修行即ち禅の道に励むより他ないことは分かりきつた事であらう。とは言へ、其れが出來るくらゐなら最初から苦労はしないといふ話である。
遂に余の生涯は偏狭なる孤立の儘、一切皆苦の内に終りさうである。