彼岸

三月二十三日(日)晴
家人と車にて元麻布長玄寺に赴く。日向は暑き程の好天也。實家の母親と妹及び甥夫婦の來るも全員悉く無愛想極まる對應也。余が花代管理費を寺に納めるも礼の一言もなし。月々僅かなれども仕送りを續けたる事に對しても當然と思へるにや、一言の感謝の言葉だにいまだ聞かず。其の他非常識の事數々あれど身内の恥晒すことになれば書くに忍びず。されど、余が家人の實家にて受けたる厚遇歓待ないし親愛に比して、余が實家の家人に對する態度の余りに情と良識を逸したる事看過すべからざるものあり。ほとほと愛想が尽き、不愉快なれば今後は極力付合ひを避け、墓参も別々にせんことを期す。妹も甥も高校中退にてまともな職に就きたることなし。低学歴を貶める意図は無けれども、世間を甘く見たか教育の機会を自ら放擲し世に拗ねて生きる輩とは迚も付き合へぬものと知るべし。
墓参の後實家の連中と袂を別ちミツドタウンに移動し銀鱈粕漬けの晝食を摂る。茅乃舎にてだし等を購ひ、カヴアージヤパンにて先日見た博多織の角帯を確認。今のところ一番欲しい帯である。余の柳条御召に合ふ淡いパープルの色合ひが良い。価格参萬圓は品質からすれば妥当なるも、安からざれば考慮中。其れから旧住居表示赤坂新町五丁目辺りを散策。明治の末に馬場彦が住んでゐた処である。何と鉄砲津の伯母の墓のある報土寺のすぐ近く、TBSの南側であつた。もつとも此の周辺一帯は完全にマンシヨンやビルになつてをり、馬場家の存在を偲ぶ縁の殘るものなし。此の後世田谷の義妹夫婦宅に寄るつもりなれど不在なれば止む。