諦念延長

八月十九日(火)晴
その時私は二十一歳だった。どういう状況だったかまるで思い出せはしないのだが、とにかく私は虚無を見た。「虚無に達した」と自分では言っていた。ああ、そういうことだったのだ、とすべての謎が解けた気がしたのである。物質や生命や時間のみならず、歴史や社会、文化を含めたあらゆる人間の営みに、意味も意義もありはしないこと。すべては虚無であること。…その上で、明日からも今までと変わらぬ日々を続けていくしかないのだと思い、その生き方を沈潜と表現していた記憶がある。韜晦とは無論異質で、諦念と言ってしまうと安っぽくなる気がしていたのだろう。
その一方で、もしかすると世の中には、それと言わずに同じ思いで日々を当たり前のように笑ったり泣いたりしながら生きている人が無数にいるのかも知れないと思って畏敬の念を抱いたりもした。沈潜という意識だけ矜持として持ちつつ、毎日の身動きのとれない生活を今まで通りただ普通に続けて行くことに、ヒロイズムにも似た雄々しさを感じていたのかも知れない。それは言い換えれば、自分が何者でもないということへの寂しい同意に他ならなかった。
あれから三十年以上が経つ。時々思い出すことはあっても、別に忘れようと努力した訳でもないのにいつの間にか虚無や沈潜という言葉は無意識の底に文字通り沈んで行ったように思う。二十一歳の時に想像していた以上に、社会や人々は自分を優しく受け入れてくれ、人々との出会いの中で自分の人生に意味を見つけられる気になり始めていたのは事実である。人並みの幸せを感じ、楽しい事嬉しいことが、怒りや悲しみを合間のいいスパイスとして、ずっと続いていくかに錯覚するようになっていた。それがある時根底からがらがらと壊れ、諦念とは別の形でただただ安穏な生活を目指すようになったのが六年程前である。
ところが、最近になって、あのときの諦念が抽斗の奥にしまった紙切れを偶然何かの拍子に見つけ出してしまったように、蘇ってきた。神も仏も、勿論霊魂などといったものはない。私というようなものさえない。存在と無に関する、直感的でしか在り得ないあの時の理解、すなわちあの時垣間見た虚無の光景が、再び心のどこかに棲みつき始めたようなのである。それでいて、あの時のように、ではその上で普通の生活ができるかというと、もはやそれも難しい気がしている。
虚無に達した二つの地点の間に挟まった私の人生なるものと、この先の日々が同じ相貌のもとに続く訳がないとしか思えない。今まで通りに生きて行くだけの気力も、かつては結果として私が無意識のうちに持っていたらしい希望や期待といったものが、もはや完全に失われているからである。虚無の諦念に達してなお普通の生活を続けられた束の間の幸福をこそ呪詛すべきであったのかも知れない。今や私は老いさらばえ、諦念を杖にして虚無に耐えていくことしか出来そうにない。
話は変わるが、数々の失敗と挫折の果てに、私がやっと獲得することに成功した唯一の世間知と呼べるものは、謙虚であれということである。それをはみ出せば、必ず自分に災厄がふりかかることをやっとのことで思い知ったのである。それにしても、謙虚に、慎み深く生きるとは、何と諦念に似た姿であろうか。或はそのふたつは詰まるところ同じものであったのかも知れない。だとしたら、私は三十年の放浪の末に、それと知らずに同じ地点に辿り着いたことになる。すなわち、人生に意味などないことを確認するための、無残なまでに見事なエクササイズが私の人生だったのである。ただ、唯一の救いは、この六年のうちに禅を通じてブッダの思想にふれ得たことである。虚無は当然のこととして生におけるその克服を説くブッダの教え、それ以外に帰り着くところはない。