天徳寺吉祥寺

十月十一日(土)晴
午前家人の通院に付合ひ神田和泉町に赴く。其の後地下鐡にて神谷町に至る。徒歩天徳寺を訪れ、津山松平家藩主の墓を掃はんとするも見つからず。問へば昭和初期に改葬されしと云ふ。歴史書の多くは其の事を伝へず、當初の墓所のみ記す為に無駄足となる。晝食の後新宿の骨董市に往くも西洋骨董のみにて見るべきもの皆無なれば須臾にして去り、西荻窪の骨董店及び古書肆を見て廻る。西荻窪にて家人と別れ、余は一人吉祥寺に赴き、小學校六年時の同級生と飲む。参ずる者十六名。余といふ存在を無条件に肯定して呉れる氣安き仲間なれば歓談して痛飲。樂しさに時間を忘れ竟に終電にて歸宅すること能はず、N氏の兩國の部屋に往き厄介になる。家に着いた後更に呑んで二時前就寝。N氏は嘗てメリル・リンチやゴールドマンに勤めたる證券營業マンなるが、今は二度目の離婚の後獨身にて、派遣として金融機関で働くといふ。性格も収入も余とは隔絶すと雖も何故か氣心が知れて、人生の節目節目には会ふ事の多い不思議な友人也。