不可能の憂鬱

九月八日(月)陰
五拾肩がまるで良くならない。毎日柔軟運動を繰り返してゐるのに、痛みは去らず可動域も拡がらない。
もうゴルフも水泳も、キヤツチボールさへ出來ぬのであらう。混んだ電車に乘ることも出來ない。押されて無理な姿勢から吊革に腕を伸ばす事など不可能だからである。尺八も少し吹くと肩や肘に痛みが出るので暫くやらずに様子を見やうかと思つてゐる。茶の湯茶筅を振るのも痛い。聞香の香炉作りなども無理である。お稽古事は暫く休止するより他はあるまい。
書ですら長い間筆を執ると其の後痛みが増すので、毎日書くのはよしてゐる。ペンでものを書いたり、キーボードを打つのも余り良くないのであらうが、流石に其れまで止してしまふと仕事にもならぬし何もすることがなくなるから、控へ目に續けてゐる。
ゴルフをしたいとも思はぬし、其の費用を賄う事も出來ないのではあるが、しやうと思へば出來るのをしないのと、本當に出來ないのとは大變な違ひである。全く嫌になつてしまふ。
今後も歳とともに出來なくなることがもつと増えてゆくのであらう。何だか悲しい話である。諦める事に慣れるより他なすべき事はないのかも知れぬ。