貧しさについて 

七月二十七日(金)晴。暑さ続く
貧乏には慣れてゐる。正確に言ふと、貯金がないことや借金が沢山ある事に慣れてゐる。時に貧乏生活を強ひられ、欲しいものも買へずやりたいことが出來ぬ日々を過すことも多い。其の事自体に不満はなく、そんなものだと諦める。ただ、我ながら危懼するのは、貧しさに耐へ貧乏を甘受する自分が、其れだけで何か精神的な清廉さや潔さを身につけたやうな錯覚に陥ることである。貧しさの中にある崇高さに対するリルケの呪縛から解き放れてゐないのであらう。慎ましく暮らす健気な我が身を愛しく思ひ、伏し目がちに静謐な眼差しで世間を見遣る閉ざされた己の心情に陶酔するやうな気分が無いとは言ひ切れぬのである。其れが証拠に少し金回りが良くなると、途端に傲岸になつて欲しいものが増え、我ながら卑しい顔つきになつてゐるのに気付くことがある。己の本性は此れなのだ。薄汚れた内面にいくら貧しさの衣を着せても、竟に光は内側から差しはしないのである。貧しさと同化することもままならぬ余に出來るのは、せいぜい己の分限に見合つた生活を送ることなのであらう。