暑中

七月二十八日(土)晴
午前中夏休みの宿題をやる如く匂ひ関連本の原稿チエツクを行ひ、昼前徒歩図書館に赴く。取寄せ依頼してあつた魚住和晃著『宮島詠士 人と芸術』(二玄社)を借りて帰る。古本にても高額な為借りて讀む事にしたもの也。一如庵には詠士の書が多くあり、学生時分から稽古の際目にする度良い字だとは思つてゐたものの、其の価値と書としての凄味に気づいたのは最近の事である。古い日本家屋にはさういふ書が掛けられてゐるのがごく当り前のことなのだらうと当時は思つてゐたのであるが、其の後様々な寺や茶室や書院作りの和室、座敷等を見たが、中々詠士の書に匹敵するやうなものは、京都で幾つか佐久間象山のものを見て驚いた以外は、殆ど見た例がない。以前魚住の本を讀んで面白かつたのだが、其の著者が詠士について書いてゐるのを知つて讀みたくなつたのである。帰宅後早速讀み始める。米沢藩士だつた父宮島誠一郎の幕末の活躍も胸躍らせるものがあるが、其の父誠一郎に宛てた詠士の書簡を読み解きながら詠士の中國留学中の足跡を追ふ手法も実に興味深し。詠士と木堂犬養毅とに交友があり、詠士が木堂の碑銘を書丹した事は知つてゐたが、詠士が勝海舟を尊敬し、海舟に揮毫して貰つた「詠而帰」の扁額から主宰する私塾の名を「詠帰舎」と名付けるなど、余の好む人々との交流を知るにつけ、詠士その人への敬意と其の書に対する好みも強まる。漢学を修めた文人や國士には一本筋の通つた基軸が在るため、生き方や考へにぶれの無い点は尊敬すべきであらう。