電子書籍

三月六日(水)晴
電子書籍の利用が思つた程進んでゐないといふ。そんなことは分かり切つてゐたことだと余は思ふ。今まで紙の本を讀んでゐない人たちが、いくら新しもの好きだからと言つて、機械になつたら急に「讀み」始める訳はないとずつと思つてゐた。メールやネット上の情報しか讀まない人たちにとって、金を出して買ふ価値のある程の本は讀んでも理解できないから無意味なのだ。
一方で、紙の本を讀んでゐた人たちの大多数は、ずつと紙の本を讀み続けるに決まつてゐる。もちろん、電子書籍にも良い面はあるから少しづつは普及していくだらう。ただし、電子書籍が紙の本の持つすべての利點を凌駕することはあり得ないから紙の本は殘るし、殘る以上電子書籍は期待ほど伸びないと思ふ。
電車の中でタブレットなどで活字を讀んでゐる人を見かけることがあるが、正直言つて不便さうで馬鹿に見えるし、どうせくだらない流行小説でも讀んでゐるのだらうと輕く蔑視したりもする。頁をぱらぱら捲ることができないのが何より不便だ。
むしろ、本だとスペースも解像度も限られる圖表や寫眞の類を、本を讀みながらPC上で詳しく参照できるやうな形を考へた方がいいのではないかと思ふ。今余が讀んでゐる貝塚爽平著『東京の自然史』(講談社学術文庫)など、オリジナルの単行本を文庫化したものなので圖版が小さくてわかりにくい。電子書籍の圖版のみウェッブで公開するといつた手は考へられないものであらうか。
要するに、電子書籍を増やしたいのなら、デバイスに敏感な人々に媚びるのではなく、むしろデジタル製品を毛嫌ひする既存の読書人層の求めるものを少しづつ實現させてゆくことが大切ではないかと思ふ訳である。