文學について

二月四日(水)晴
小説を讀まなくなつて久しい。時に時代考證や風俗を知る爲に明治大正期の小説を讀むことはあつても、新刊の小説など讀むことはまづないと言つてよい。詩歌も然りで、日本文化や思想を巡る評論やエツセー等で引かれた詩歌から、其の詩人や歌人の作を改めて繙くことはあつても、日常的に韻文に親しむ事も亦絶えて久しい。嘗ては詩や小説は身辺のごく近くに在つて、其れを當り前のやうに讀み、日常生活とは文學の余白の如き日々を送つてゐたといふのに、これはまた何と大きな變化であらうか。
ピアニストを目指してゐた人が、良い處まで行きながら挫折した後ピアノから遠ざかるやうに、或は甲子園に出場しながら、後に肩を壊して野球を斷念しなければならなかつた人が、後に野球そのものを観ることさへ避けるに至るやうに、余も文學を志してゐたからこそ敗殘の思ひで目を背けるやうになつたのであらうか。恐らく其れも多分にあるのだらうが、基本的には自分の興味が移つたといふ事ではないかと思つてゐる。面白い小説や感動する物語に出會はないといふ事もあるが、さういふものを求め欲する氣持ちが著しく減少したのである。他にもつと興味のある、讀みたい分野の本が増えたといふ事である。其れも若い時分には全く關心のない分野が面白くて仕方がない。曰く香料産業史、醫學史、醫學教育史、大學史、日本の美術、江戸期の思想、日中の文人趣味比較、香道系譜、大正文化史、近世文人・學者のネツトワーク等々である。