景清

四月三十日(月)陰
着物にて十時に家を出で、途中軽い昼食などとつた後十二時半渋谷松濤の観世能楽堂に赴く。ロビーにすでにN子の知人S氏夫妻の姿あり。今回の観劇はS氏が余ら夫婦の結婚を祝ひ、懇意にしてゐる観世流の能公演のチケツトを贈られしものにて、余にとりては初対面なれば挨拶とお礼を陳ぶ。本日は関根祥六主催の桃々会公演にて番組は以下の通り。

  • 能   景清
  • 仕舞  実盛
  • 遊行柳
  • 狂言  樋の酒
  • 仕舞  弱法師
  • 藤戸
  • 独吟  隅田川
  • 仕舞  頼政
  • 能   小鍛冶

暫し立ち話の後客席に移らんとするに最初のハプニングあり。即ちN子の席に既に人が居り訊ぬるに同じ席の券が二枚あることが判明。係りの者に告ぐるに慌てて奔走せし結果、航空会社のダブルブツキングの際のやうに結果としてアツプグレードとなつてより正面に近き席に余等夫婦が移動となる。開演前慌ただしくはあれど勿怪の幸ひ也。
一時より開演にて会主関根祥六がシテを務める景清が始まるも、出だしの能管の音が出ず、小鼓もまつたく鳴らずで囃子方の不調明らか也。然るにツレが登場して、さらに藁屋の作りものの中からシテの謡が聞こえ始める頃にはすつかりその世界に引き込まれる。祥六の老いて悲哀を含む声の音は凄まじさを感じさせるが、ところが途中で詰まり、後見が後ろから科白を教へる一幕あり。全く動じず続けるところも凄いが余はちよつと驚く。さらに進んで親娘の名乗りと対面の後源平合戦時の武勲を昔語りする段になつてまた詰まり、後見が何度か囁くも始まらず、咄嗟に後見が少し飛ばして先を言ふと思ひ出したらしく、また何事もなかつたやうに続けてゆく。観客席からも動揺の様が感じられる。さうかうするうち語り終はつた景清が娘を残し橋懸(はしがかり)を杖突きながらとぼとぼ去つて行く。其の姿が余りに弱弱しく哀れで、舞台での失態を悔いるやうでもあり、演技なのか本当なのか分からない程の凄惨さを漂はせてゐて、目に焼き付くやうであつた。景清といふ演目自体老優が引退の花道として演じることも多いと言ふし、二度の科白落ちによつて本当にこのまま引退を決意するのではないかとは後でS氏から聞いた話である。まして、先年後継と頼んだ長男が急逝し、今回は其の遺児で祥六の孫に当る祥丸がトリの小鍛冶でシテを舞ふとあつて、世代交代と自らの老残が景清の姿と重なるやうで、あの後ろ姿の哀感は一世一代の名演技であつたかも知れない。何やら稀有な瞬間に立ち会つたやうな興奮を覚えた。
休憩ではS氏とそんな話を頻りに交す。後半最初の狂言はそれなりだつたが、改めて去年の鎌倉薪能で観た野村万作の絶妙の間の面白さを感じさせてくれた。其の後の演目では観世家元清和による仕舞頼政は即座に其の場に世界を形つくつて流石に引き込む力がある。しかも、プログラムを見た時には気づかなかつたのだが、此の頼政は先日行つた宇治や平等院が舞台であり、宇治川べりを歩きながらN子に平家物語の橋合戦の段について説明したばかりであつた。それもあつて謡の文句も聞き取りやすく、見たばかりの宇治川の速き流れに馬を進める様や周辺の景色が目に浮かび、家元の舞に往時の情景が現れるやうで大いに楽しむことを得る。
最後は小鍛冶で、本格的な舞台でのシテを初めて演じる祥丸は十八歳とのことなれど危なげなく見事に演じ、去り往く祖父の老優と余りに対照的な姿に再度感慨深きものを感ず。さらに、こちらも先日訪ねたる伏見稲荷の使ひが登場するなど、中々に諸々の縁を感じて四時間半があつといふ間に過ぎる。終演後ブンカ村の喫茶店にてS氏夫妻と歓談。其の後帰途に就き帰宅七時半を過ぐ。帰りの電車のモニターにてステーキを見て急に肉が食べたくなり、帰りがけに牛肉を購ひステーキにしてビールと共に食す。余にとりては連休の終りにて、明日からは原稿等に勤しむ事となる。