元禄文化

二月十四日(木)晴後陰
守屋毅著『元禄文化』讀了。此の人の著作は嘗て『京の藝能−王朝から維新まで』(中公新書)を讀んで、獨自の視點と明快なパースペクテイブの提示に感心して以來であるが今囘も為になつた。多少圖式的な処はあるが、「遊藝」「悪所」「芝居」をキーワードに、元禄時代に何が起こつたかをわかりやすく説き明かす手並みは見事である。才氣を買はれながら四十七歳で亡くなつたのは返す返すも殘念である。最後の職は國立民族學博物館教授だが、後任が熊倉功夫であることからしても、レベルの高い地位と言へやう。より古層に関する守屋の研究成果を讀みたくなり、早速『中世藝能の幻像』といふ本を註文した。
元禄時代』を讀んで今更ながらに驚かされたのは、香道茶の湯、書、生け花、尺八、和歌俳句、有職故実といつた余が現在してゐることや、興味を持つ浄瑠璃、三味線音楽、漢詩や古典などの文學や學問を含め、それらがすべて近世の「遊藝」と呼ばれるカテゴリーに属するものだといふことだ。要するに、余の為しつつあることとは、江戸元禄期以降の町人が、余暇に習ひ事として精を出した「遊び」に他ならないのである。後は謡と弓でも習へば、江戸の粋人に引けを取らない遊藝三昧といふことになる。
これらのうち、特に藝能に属するものは、元禄時代にすでに中世のそれらとは隔絶したものになりつつあつた。近世に入つて中世の藝能が持つてゐた階級性と宗教性とが著しく失はれたのである。
階級性とは、藝能の享受者・庇護者としての公家や武家階級と、演者である藝能者の賤民階級とが両極に分化して成り立つことを言ふ。元禄以前、其処からはそれらの中間に位置する一般民衆(元禄期に「町人」となる以前の民衆)は藝能の享受からも演ずることからも排除されてゐた。この階級性が崩れることで町人が遊藝を樂しめるやうになつたのが元禄時代に他ならぬといふのが守屋の行論である。
宗教性とは藝能に本來備はつてゐた求道性や救済性、さらに遡れば神佛への奉納、すなはち祈願、鎮魂としての藝能であり、近世の藝能がさうした聖性から離れ神事や祭事から獨立していつたことは今更言ふまでもない。
さう考へて來ると、我々はすつかり平民化し世俗化した近世以降の現行の藝能の中に、僅かに中世の宗教性を垣間見やうとするのが関の山といふことになるのだらう。原初の聖性はさらに其の向ふの靄の中である。それでも余は、今の世なりにせめて中世藝能の持つ宗教性の一端にでも囘歸できるやうに、遊藝の修行を續けて之きたいと思ふのである。虚無僧尺八は其の點に於いて考究に値する藝能であらう。