雨蕭蕭

六月二十一日(木)雨
雨止まず。六時半過ぎ起床、七時過ぎ歩いて谷地頭温泉に行き入浴。昨日は知らずに入らなかつた露天風呂にも浸かる。一旦家に戻り、朝食をとり、珈琲をのみながら少し明るくなつた海を眺めてのんびりしてゐたら十一時過ぎになつたので出掛けることにする。
伯母の別荘からの眺め
止みかけたかに見えた雨も結局霧雨となつて降り続いてゐる。谷地頭から市電で五稜郭前まで行き、徒歩五稜郭へ。まず五稜郭タワー向ひの「あじさゐ」といふ店にて塩ラーメンを食す。細麺にて旨い事は旨いが、後からメニユーにつけ麺のあることを知り旨さうなれば多少後悔す。店を後にし五稜郭公園内に入る。余は初めての訪問也。百四十年前の建造なればまだ新しく整然と美しい石垣を眺めながら中に入り案内板に従い左に折れれば視線の先に忽然と函館奉行所現る。DVDで見てゐただけに、その均整のとれた造作の美しさに感激一入也。全体の姿とともにやはり細部に目が行き、改めて平成の現代にこれだけの技を集められた事に驚き、感動す。五百円の入館料を払つて中に入る。壁や柱、天井や床・畳に至るまで、DVDで得た知識をもとに具に観察す。大工、左官金工師、瓦職人等々の技は正に称賛すべき出来栄へ也。欄間や違ひ棚の美しさは見事であり、また新しい木造建築ならではのヒバや杉材の芳香が漂ひ、どこか厳粛な雰囲気が感じられて思はず居住まひを正す。幕府の外国人に対する威信を掛けた意気込みの如きものを感ず。また、中庭に面した窓から眺める屋根の瓦の美しさは絵の如し。敢て自然な色ムラを残した上に雨に濡れた為に色合ひがえも言はれぬ味を出してゐる。出来るだけ当時の姿や工法、素材に忠実に再現するといふ企図が図らずも実現した美しさであらう。総工費十八億円といふが、此れでも当時の建物の三分の一を再現したに過ぎず、往時函館といふ辺鄙な場所で奉行所の威容は如何許りであつたであらうか。函館奉行所の再現建築は日本建築史の観点からも実に貴重な試みであり、一見の価値あることを重ねて記す。


函館奉行所
じつくり見学の後五稜郭公園を出る頃には、昼の塩ラーメンの量が少なかつたこともあり小腹が空いて來た。そこでせつかくのことでもあり、再び「あじさゐ」に入ることとする。店内に入れば店員は最前の來客と気づき忘れ物でもしたかと問ふも、二度目の食事と告げて念願のつけ麺を食す。予想通り旨く満足す。それから五稜郭前の市電停留所まで歩き、丸井今井といふ百貨店に入り、催事場で開催中の北海道物産展を覗き和布や鱈子などの海産物を買ひ込む。満腹なるも試食を勧められること度々也。再び市電にて十字街まで行き、徒歩伯母の家に至る。一茶の後伯母と倶に出で、近くの昆布店にて買物の後さらに足を延ばして宝来町の魚屋和田に行き、雲丹と牡丹海老を購ひ、其処で伯母と袂を分かち徒歩谷地頭の別業に帰る。途中ビールと日本酒を少々買ひ求める。既に六時近しとは雖も今日は夏至とて雨空ながら日も長ければとて、急ぎ用意して茶室で抹茶を淹れ飲む。更に尺八を茶室で吹く。和の空間なればにや、敢て大きな音を出さずとも微細な音や音味を感じ取れる利点あり。にじり口もある四畳半の小間にて、裏に水屋があつて茶道口で結ばれる本格的な茶室也。伯母夫妻が購入せし中古物件に付属したるものにて、母屋は壊して現代風に新築し直すも、離れのみは其の儘残したるものと言ふ。普段使ふ事も稀なれば黴臭く埃臭き難はあれど、壁や天井含め現在では中々作り得ぬ凝つた造作のやうに見ゆ。何とか保存し置き、茶会等に活用したきものとN子と話しをれり。
其の後母屋に戻り、雲丹と牡丹海老を肴に飲む。旨し。さらに海老の頭でだしを取つた味噌汁と鱈子でご飯を食べて締め。旅行中は取敢へず体重は気にしない事に決めたのである。十時就寝。相変らず寒く夜はストーヴをつける。