山形往還

六月九日(金)晴後陰、暑し
日帰り出張で山形の赤湯まで往復。山形は何故かさまざまな縁があつて子どもの頃から何度も訪ねてゐて、二度目の結婚の際のささやかな新婚旅行で訪ねた地でもあり、とにかく懐かしい。様々な思ひ出が蘇つて複雑な気分にもなるのだが、何度でも行きたくなる場所だ。アメリカにゐた頃知人にビデオを送つてもらつた『百年の物語』の影響もある。月山、山寺、天童、蔵王、米沢…何処も懐かしく、楽しかつた日々を思へば涙が溜まる。実際、山形では嫌な思ひをした事がない。親切で素朴な人ばかりで、余にとつては心の故郷と言へるかも知れない。所謂「田舎」のない自分にとつて、日本の農村の原風景は山形にあるやうな気もしてゐる。
もともと鉄道が好きだつたこともあつて小学生の頃から友達と二人で旅行に出てゐたし、中学に入ればすでにひとり旅で北陸を回つたり、高校ではひとりで何度も奈良を旅してゐた。旅が好きなのである。大学の頃からは、ひとりで四十日間ヨーロツパを廻つた初めての海外旅行を別にすれば、一緒に行くのは大抵女性になつたが。
それにしても、五十年も生きてゐると流石に実に色々な場所に行つたものだと自分でも驚く。フランスやアメリカに住んでゐた頃は、当然ながらその地と周辺の国にも足を伸ばしてゐたが、今では海外旅行には殆ど興味がない。と言ふより、行きたいと思ふ場所がない。世界中を見て回つた訳ではないが、同じ時間と金をかけるのなら、もつと日本の隅々まで見て歩きたいといふ気持ちが強い。随分いろいろ行つたと思つてゐても、日本にはまだまだ見たいもの・行きたい場所がたくさんあるのである。と同時に、日本には京都を始め何度でも行きたい処も多い。海外でまた行きたい、定期的に時間を過ごしたいと思ふのは巴里だけだが、日本には既に行つたところでも、其の後の興味の変化により見どころが変ることもあり、見尽くせぬ思ひがある。
今月の十九日から、遅ればせながら三度目の新婚旅行めいた旅に出る。今度は函館がデステイネーシヨンである。