逃亡者

戦後の混乱期のことである。わたしはある理由から職にも就かず、残飯を拾ふなどして辛うじて餓ゑを凌いでゐた。或る時は眠つてゐる人の横にある鍋から御玉杓子で掬つて取つたもやし数本が一日の食事といふこともあつた。そんなわたしが駅で大学生くらゐの若い男性を見つけて声をかける。此処で逢つたが百年目といふ感じで、貸した金を返せと迫る。大学生はいろいろと言ひ逃れをするが許さず、家までついて行く。大学生は借りた十万円をそつくり使はず「未来の自分のために」と言つて取つてある。其れを返すふりをして一方で警察に通報すると、わたしには前科があるらしく家を出たところで逮捕する段取りが出来上がる。
十万円の入つた封筒を受け取つたわたしはさういふ動きも察知してゐて、金が戻つて嬉しいから奢るので一緒に何か食べに行かうなどと大学生を誘ふなどして時間を費やしてから、外で待つ刑事の居ない裏からそつと出て駅に向ふ。其処には同行する手下がゐて、わたしは「此のまま学生に告げた宿に戻れば刑事が待つてゐるに違ひないから、電車でまんまと逃げるのだ」と言ふ。始発駅らしいすでに自動改札になつてゐる駅の改札を抜けプラツトホームに出ると電車は出たばかりのやうで、わたしたちは線路に降りて其の儘線路の上を歩き始める。暫く行くと線路の上に車が停めてあり、嫌な予感がする。果たしてすぐにあの学生が立つてゐて、「まさかあなたの泊まる宿のことを警察に告げたなどと思つてないでせうね」などと言ふ。無視して歩き続けると、行く先が夕日で明るくなりシルエツトで二人の刑事が立つてゐるのが見えた。此の時点からわたしは犯人からすべてを知る傍観者の立場となり、案外あつさりと捕まつてしまつた二人に「今まで生きてきた活力からするとあなたたちらしくもない」などと声を掛ける。テロツプには主犯が懲役六年、手下は同三ヶ月と出る。貸した金を取り戻しただけ、其れも利息も取らずに返して貰つただけなのに此れは不義だとわたしは思ふ。刑事は本来車の床下に犯人を乗せるところをおとなしくお縄についた二人に同情したのか普通の席に乗るやうに言ふ。乗り込むのに車を周りこむ時、奴は逃げた。わたしは其処にゐて、油断した刑事を蔑みながら、わざと逃げた方向とは別の道を指差したりしてゐる。慌てて刑事が走つて行き、残された手下も逃げ出す。わたしは残つた車に乗り込んで其の儘走り去らうとするが手下が捕まつて刑事も戻つて来た。奴は逃げ果せたらしい。
ところが、其処にまた学生が現れて「緊急事態だ」と言ふ。さつき大捕り物の後に皆に配つたお握りには毒が入つてゐるから食べないでくれと言ふのである。幸い其処にゐるものたちはまだ食べてゐない。ところが、数へてみるとふたつ足りない。奴が持ち去つてゐたのだ。きつと今頃は其れを食べて死んでゐるに違ひないと誰もが思ふ。
其処でカメラは全く別の横丁に切り替はり、路傍の塵置場がクローズアツプされて行く。大写しになつた生ゴミの入つたビニール袋には其のお握りがやや変色して捨てられてある。言ふまでもなく、奴がまんまと生き伸びてゐることを示唆する映像とともにわたしは目を覚ました。