四月九日(土)雨後陰

体調が悪い。寝台から体を起さうとすると眩暈と吐気に襲はれる。其れも消化器系の吐気ではなく脳神経系の吐気である。まず寝台に腰掛け様子を見てから、徐に立ち上がらうとするも足もとがふらつく。真直ぐ歩けないのだ。階段の手摺を使つて何とか二階に上る。
起きたのは十一時である。明方から何度も目が覚めるが、夢といふよりは同じ想念を抱きつつ眠り続ける感じで、或る寺に集まつた義援金の遣ひ方や其の意義について、他の例や報道と比べながら延々と議論・思考してゆくといふ、夢のやうで夢らしくない思念が途中短い覚醒の時間を挟んで、空腹に竟に起きる決意をするまで続いたのである。
昨日は六斎日だつたので昼前に食事を終へてゐるから二十四時間ぶりの早めの昼食を摂り、ネツトに向ふがすぐに気持ち悪くなりソフアに横になる。眠気もまだあるやうなので寝室に戻り、再び寝入つて起きたのが四時半である。体調がわるくなければさうさう眠れるものではあるまい。
平衡感覚を失ひがちであることから、小脳に近い部位の脳腫瘍か、脳梗塞の兆候なのかも知れない。後頭部から首筋、延髄にかけて鈍い痛みがある。独身の中高年男性は寿命が短いと聞くが、要するに自宅で倒れればそれまでだからであらう。なるべく自宅に籠らず、街に出て徘徊してゐる方が、救命される確率は高くなる。
いずれにせよ生きるとは苦しみに耐へることであり、耐へるための智慧を少しでも身につけることだけが生きる上での目標となるやうな年齢、境遇となつたやうである。