シィーティー

病院に行つた。
脳神経外科神経内科で診察を受け、CT検査を受けた。
脳神経外科の待合室で、頭を怪我した老婆と其の息子らしい男性が会話のやりとりをしてゐる。母親は耳が遠く、質問と答へが頓珍漢になりがちで、息子は勢い大きな声で何度も怒鳴るやうに話しかける。ぞんざいな口調で喧嘩ごしにさへ聞えるが、時折二人であははと笑ふのでほつとする。
昨日は一日母親の方が「ぺらぺらの野菜」と言ひだして息子を悩ませたらしい。
「ぺらぺらの野菜」
「何だそれは」
「だから、ぺらぺらの野菜」
「それがどうした」
「ぺらぺらの野菜…」
結局それはレタスだつたらしく、わたしも成程と感心した。さう言はれてみればぺらぺらの野菜である。母親はレタスといふ言葉を思ひ出さうとして言ひかけ、息子は其れをどうしたいのか聞いてゐるのに、レタスで何をしたいのかよりも母親はぺらぺらの野菜の名前を思ひ出すことに頭が行つてしまふのであらう。
耳が遠かつたり、少し呆け始めた老人のかうした会話を聞いてゐると、色々発見もあり、爆笑もある。老人特有の言ひ回しなど、格好いいなと思ふこともある。
今回検査に行つた病院には五年前わたしは肺炎で入院したことがある。其の時同室だつた小林巳代治さんの語録も余りに面白いので記録した程である。巡回した主治医に、「お加減はいかがですか」と聞かれて、「ちつたあ、いい」と答へた巳代治さん。べらんめえである。
見舞ひの家族が勧める果物を「いらない」と言つてゐた巳代治さんが、あるものを見て「それ食べる」と言ひ出す。家族が「これはペツトボトルよ」と答へた時には噴出すのを堪へるのがやつとであつた。
さて、検査の結果であるが、異常は見つからなかつた。今回病院に行くことを決めてから思ひ出したのだが、昨年も丁度今頃頭痛が続いてCT検査を受けたのである。其の時も異常は見つからず、其の後お遍路に出掛けてすつかり元気になつて帰つて来た。過去にも、胃痛の余り内視鏡検査を受けて何でもないと分かると途端に、其れまでの痛みが嘘のやうに消えてしまふといふことが何度かあつた。気から病むタイプなのかも知れない。いや、単に単純なだけであらう。今回も何でもないと分かればケロリと治るはずであつた。
ところが、病院から戻つても何でもないと分かつた後の今までのやうな現金な変化は起らず、頭は重いままである。午後寝てゐて少しは楽になつたが、すつきりはしない。まあ、血圧が高めであることも続いてゐるのだらうから、急に良くなるものではないのかも知れない。去年の例を見ると、季節の変り目、特に花粉の季節の終り頃に来る不調と取れなくもない。寒さは何より嫌ひなものだが、冬の間の極端な禁欲生活と、此の時期にわたしが感じる「幸せになつてはいけない」といふ思ひ、Мさんとの楽しい思ひ出と辛い過去が交錯するフラツシユバツクなどが、わたしの神経系を疲弊させたことは想像し得ることではある。しかも、昨年は夏から禁酒を含めた更なる禁欲を志向したこともあつて、わたしは自分を苛め過ぎたのかも知れない。
やたらと自信過剰の、ぎらぎらした生活に戻るのはすぐには無理かも知れない。少しずつ、慣らしてゆくより他はない。自責の念罪の意識、贖罪への思ひを残しつつ、生きてゆくために取り縋るものがあるのか、ないのか。あるとすればそれは何なのか。悟りから百億光年遠いところに居る自分といふ存在を意識するのがやつとである。
今を生きてゐるといふ点では、老いも若きも同じなのだ。
若者には未来がある。しかし、未来は楽しいことだけが待つてゐるわけではあるまい。辛いことも悲しいこともあるだらう。
老人に未来は少ししか残つてゐないだらうが、過去がある。乗り越えて来た過去。もちろん苦しいこと嫌なこともたくさんあつた筈だ。
ただ、老人には不幸な過去を忘れることが出来、若者は明るい未来を期待することが出来る。もつとも、どちらも今頭の中で思ふに過ぎなくて、其れで幸せな過去に戻れる訳でも、明るい未来に暮らせる訳でもない。それでも、ともに今を生きてゐる。
やつと、其のことがわかりかけて来た。ただ、わたしに出来ないのは、悲しい過去を忘れることだけである。忘れてしまふと自分の生き続ける意味がなくなつてしまふやうな、絶望的な気持ちになる。それでも生きてゐるのは今なのだ。
もう少し、あとほんの少し、わたしには何かが足りない。