呈茶席

六月二日(土)晴後陰
着物を着けN子と車で家を出で、根岸駅にて岳母とI先生を乗せて三渓園に赴く。準備・練習の後望塔亭にて呈茶席に参ず。四時までの間に百人以上の客に薄茶を出す。余は立礼席での点前を十回近くやり、手順や所作をかなり習得す。点前の様子をじつと見られても緊張するどころか得意げに堂々と出來る性質らしい。それもあつて、袴姿の余を先生と勘違ひした人も居たやうだ。実際にはまだ何の免状もなく始めてから一年も経たないのに、我ながら所作と顔つきは堂に入つたもので、気分は裏千家ならぬ「斜め千家」家元である。
昼前友人のM氏來たり、其の儘終りまで居る。呈茶の合間に三渓記念館の展示を見るに、原三渓の書畫あり。其の多才な文人ぶりを垣間見るに足る。書は黄庭堅の影響があるやうに思へたが、どうであらうか。四時過ぎにお仕舞にして片づけてから岳母I先生を再び根岸に送り、更にM氏を山手のM氏宅まで送る。暫しM邸にて冷茶を喫す。M夫人には昨年巴里にて世話になりたれば礼を陳ぶ。M家は山手に土地を取得し此れから新築する予定といふ。同僚とは思へぬ金満家にて、今の邸にもM氏の様々なる西洋骨董のコレクシヨン山を為す。五時半辞して途中買物などして帰る。茶道啓蒙、日本文化振興の為とは言へ、平たく言へば接客業であるから結構疲れる。明日から京都に行くので夕食後は其の準備に追はれる。