茶會記

三月二十四日(日)陰後時々晴
豫報は雨なるも曇天にて午後は日も差す天気となる。暖かくはないがさう寒くもなく丁度桜も満開の好日、三渓園の茶會に行き一日閑雅な時を過ごすを得る。此れは横濱中央茶道會が主催する春季茶會にて、流派は表千家也。家人の習ふ煎茶道の先生が、抹茶では表千家の講師でもあり中央茶道會を主宰することから誘はれたもの。良い機会なので岳母と、同じ社中で教へてゐるI先生を招待し、家人と合せ四人で参會。寄付前の小部屋に煎茶の文人飾りをする家人を先に三渓園に送り、それから根岸の驛で岳母とI先生を乘せ再び三渓園に向かふ。三渓園に向かふ本牧の大通りは他の季節に此処を走つても氣がつかなかつたが、桜並木になつてゐて満開の桜が見事であつた。
十時半受付を為し、まづ内苑奥の金毛窟に赴く。開始前はドタバタの様子が傍目にも見て取れ手際の惡さに進行が危ぶまれたが、始まつてみれば對應する者たちの感じは惡からず。ただやはり經験不足は否めず。それは主宰者が表千家とは言へ不審庵や同門會の直系ではなく獨立した團體として、カルチヤーセンターやネツトで募集した生徒を中心に運營させてゐるからであらう。裏千家の淡交會主導の茶會だと手慣れた運營ではあるが新鮮味がない上に、怖いお婆さん先生たちが仕切るので余り樂しいものではないとは岳母の弁。
最初の金毛窟は床柱に京都大徳寺金毛閣の架木を用いたところから付けられた名で、原三渓の構想による二畳に満たぬ小間である。同行四人がやつと入り切る空間で点前は中年男性で所作は堅実であつた。自然光のみだが、障子越しの柔らかな光が茶を点てる手元をほんのりと浮かび上らせる。普段自分たちがやるのと所々違ひのある表千家の所作を面白く見る。李朝の井戸茶碗で戴く濃茶は思ひの他美味であつた。其の後隣の月華殿にて学生席にて薄茶を喫す。同じく学校茶道で高校生を教へる岳母が横濱創英高校茶道部の点前を見てみたいとの事で、ぎこちなくはあるが真面目な接待を受く。
月華殿を出るにすでに正午なれば白雲邸に戻り懐石を食す。まぐろ尽しの珍しい献立也。食後今度は蓮華院にて茶箱の点前で薄茶を飲む。應切も点前や飯頭まで若い女性たちで華やかであるが、正客に入つた若い女性が決まり事を知らずに亭主が手順通りに運ばず右往左往する一幕もあり。まあ、通常の茶席の正客の譲り合ひや道具に對する見え透いたお世辞とは無縁の気取らぬ雰囲気は惡くはないが、亭主の機転が利かないと見ていて歯痒いものになるのも確かである。気取らずてきぱきと気持ちよく喫茶できる茶席がやはり理想であらう。
其の後さらに春草盧に赴き、前席の広間で馬車道松むらの主菓子「桜」を食べ、三畳台目の本席に移る。これで初めて「前席のお菓子も大変結構でございました」といふやりとりが不自然でないことを理解する。表の点て方はもともと濃茶に向いてゐるのだらう、濃茶は二席とも美味であつた。薄茶は正直、泡の立つた裏千家のものの方が遙かに旨いと思ふ。この春草盧はやや奥まつた処にあるせゐか、一般の観光客の声も聞こえず閑に茶を喫することが出來たやうに思ふ。広間に通される前の外の待合も桜を眺める気持ちの良い場所にあり、織田有樂斎の作になるといふ重要文化財の小間は窓が多く、障子の數を數へたら九つあつたので、ははあこれも九窓の造作だつたのだと氣がついた。釜や信楽の鬼桶と呼ばれる大振りな水指、同じく信楽の茶入れや細身の茶杓も趣があり、本席の名に恥じぬしつらへであつたやうに思ふ。此処を出ると終了の三時に近かつたので、三渓記念館に入り片付けを手伝ひに行つた家人の戻りを待つ。
各席殆ど待つこともなく入れたし、点前にも變化があつて面白かつた。流派の違ふ気安さとくだけた雰囲気もあつてか岳母やI先生も思ひの他樂しんで貰へたやうで何よりであつた。格式ばつて堅苦しい上に、序列や所作への厳しい視線が注がれる裏千家の茶會と違つて、樂しむことに主眼を置いた茶會は岳母にとつても新鮮であつたやうだ。これが表千家全體に言へるのかどうかは分からないが、裏千家の人たちには余り自由に茶の湯を樂しむ氣風がないのは事實であらう。表の方に、多少砕けてゐても樂しい茶の席をやりたいといふ社中が多いやうに思ふ。新風とか工夫を取り入れるとともに、古典を勉強しやうといふ姿勢も、表の人に多い印象がある。自分自身の今後の茶の湯との關はり方を考へる上でも参考になつた茶會である。
家人も戻り、四人で拙宅嶺庵に歸る。聞香をして貰ふつもりであつたが時間もないとのことで、嶺庵にて珈琲を呈す。昨日の室礼はこの為であつた。五時過ぎ岳母とI先生を車で驛まで送り、家に戻るや直ぐに着物を着換へる。大したことはしてゐなくとも、着物で一日過ごすとそれだけで草臥れるものである。普段着に着替へると何と樂なんだらうと思ふ。それから家人が貰つて來た床飾りの花で、花を生け直す。傷み始めてゐて一部しか使へなかつたが、さすがに華やかになつた。といふことは逆に、茶席でも思つたのだが、床に飾られた花はとても茶花とは言へぬもので、生け花でさへなくフラワーアレンジメントのレベルであつた。それが表千家のやり方なのかは知らぬが、その點は殘念であつた。やはり侘びた茶花の方が茶室には似合ふのである。