卯月初旬

四月十日(月)晴
晴れ空の下に満開の桜を見ることなく春が過ぎて行きそうである。それでも、家の近くのいたち川沿いの桜は朝晩の往き帰りに眺め、昨日は七沢温泉にて桜を見ながら露天風呂に浸かった。今日の昼には蒲田の吞川沿いの桜を見て歩いた。それにしても同じ桜でも目黒川沿いの桜と蒲田の呑川沿いのそれでは大分イメージが違う。お洒落な店の並ぶ目黒川沿いに比べ、確かに呑川は汚くてくさい匂いがする。ただし、それは昔の東京のいたるところでよくしていたドブ川や運河のにおいであり、ちょっと懐かしいにおいではあった。隅田川も古川も、佃島麻布十番辺りでも漂っていた戦後のにおい、遠い昭和のにおいである。昭和は本当に遠くなってしまったと、年史でつねに大正から昭和二十年代までの史料やその時代を扱った文献に触れているので特に痛感する。そして、平成も終わろうとしている今の日本が、どこか現実と思えないような感触すらある。
今話題の「忖度」ということば、権力を持つ人間が意識的或いは無意識的に表明する意向や願望、意図や思惑を読み取って、側近の者が率先して自らの意志であるかのように、権力者の意に添うような行動に出ることを言うのだろう。出世する者や成り上がる連中が得意とすることのようだが、それに最も長けているのはヤクザと役人であろう。権力者の示す意向に対する「忖度」の反対語は「反感」ではないかと思う。私などは権威権力が無意識的に示すそうした暗黙の命令に対して、常に敏感に反感を覚えるタチだからそう思うのである。もちろん、出世もしないし、権力者に可愛がられることのないのは承知の上だが、決して忖度することはない。スーザン・ソンタグではないが、スーサンは忖度しないのである。