古文書とオタク

一月十三日(土)晴
竹橋の毎日新聞社ビルにて早めの晝食をとり徒歩國立公文書館に赴く。三時半頃まで甲斐庄喜右衛門關連の多聞櫓文書を閲覧、撮影す。同文書に殘された甲斐庄に關するものはすべて閲し了はつた。歸り掛けに一階の企畫展「太田道灌と江戸」を見る。八犬傳に登場してゐた事もあり興味深く見る。子どもの頃の才知に長けた道灌が親に反抗するヱピソードなど面白い。館を出て北の丸公園を歩む。近衞歩兵第二聯隊の記念碑を見る。徳川の江戸城薩長に蹂躙されて行く歷史を見るやうで苦々しき思ひあり。それにしても、北の丸公園は北の丸であつたからさう呼ぶのはいいが、本丸や二の丸のあった處を「皇居東御苑」とは言ひも言つたりである。本來皇居の方こそ「江戸城西の丸皇居」と呼ぶべきものであらう。こんな呼称をしてゐるから虎ノ門驛構内の案内板で西の丸の處に本丸と書くやうな間違ひが起こるのである。先日會社の若い女の子と話してゐたら江戸城がどこにあるのか知らなかつた。皇居が江戸城の西の一角を間借りしてゐるだけなのを知らないのである。今年は明治元年から百五十年である。そろそろ江戸城復権があつてもいいのではないか。ただ、何度も言ふが、それが天守閣の再建などといふ愚挙であつては絶對にならない。北の丸には近衞第一聯隊の碑もある筈なるも行き當らず敢て探しもせずに田安門に近づくと如何にもオタクといふ匂ひのする人たちが大量に屯してゐる。もつとも、私にしたところで野球帽にサングラスを掛けマスクをして黒いダウンジャケツトといふコンビニ強盗のやうな姿だつたので、さして場違ひな存在でもなかつたかも知れないが。どうやらコンサートか何かあるらしく、武道館周辺は人で溢れてゐる。聞いたこともない女性名だが、後から調べると三十七歳の声優出身のアイドルだといふ。さう聞けば納得のいく客層ではあつた。ゆつくり田安門を眺めたいのに人の流れと逆行するので立ち止まることも難しい状況であつた。九段下から地下鐡にて池尻大橋に行き美学的施術を受けた後歸宅。