平岡的 

十二月二十九日(土)晴後陰
平岡正明浪曲的』読了。う〜む、参りやした。平岡の兄イ、お見それしておりやした。お見事な筆さばきでござんす。遅ればせながら、はばかり、このあっしを子分の末席に加えてやっちゃあくれませんか。お願えいたしやす…とまあ、言いたくなる程の面白さであった。浪曲の面白さを存分に味あわせてくれるのはもちろん、明治の心性の闇の部分を明らかにしてくれ、教科書的な歴史では決して知ることのできない、生の人間の明治史を理解させてくれる。その挙句、興味を浪曲にとどまらず、江州音頭河内音頭、果ては三波春夫にまで拡げてくれるのだ。確かに、雲右衛門の赤穂義士浪曲よりも、虎造の次郎長ものの方が面白そうだ。次郎長伝の奥行きの深さと、口承文学としての完成度の高さを知って驚くばかりである。今までこうした分野に暗く、むしろ軽蔑さえしていた自分の不明を恥じるばかりである。
続けて兄イの『新内的』を読み始める。『江戸前』も註文した。浪曲河内音頭の面白さはわかったが、こちらは自分で演ってみたいとは思わない。と言うよりできると思えない。それに比べると新内は、何とかなるかなという淡い期待がある。そうそう、文弥師匠のCDが届いたので早速聞いてみた。文弥作の『次郎吉ざんげ』と『行倒淀君』が入っている。先日宮之助師匠が言っていた、CDの文弥を文弥と思わないでもらいたいという意味がわかった。何せ九十六才での録音だ。本人もあと十年早かったらと悔しがっていたという。ユーチューブで聞ける『明烏』がすばらしいので、初めて聞く人はこちらを勧める。とは言え、科白回しのところなど、正しい江戸の言葉遣いが聞けて楽しく、曲としてもよく出来た名曲である。もし習うとしたらやはり新内、それも岡本派だなと心には決めているのである。ただ時間的なことと金銭的な余裕がなくてためらっているのである。五十肩が治らない限り三味線を持てないという問題もある。ところで、もし宮之助師匠に習って順調に進めば、そのうち芸名を貰えるのだろうが、その場合浄瑠璃系の常として苗名は岡本を貰う筈である。そこで勝手に自分の芸名を考えた。岡本々丸である。オカモトホンマルと申しやすが、誰もそう呼んじゃあくれません。人呼んでオカ、ぽんぽん丸、以後お見知り置きの程よろしくお頼み申します。