感想ふたつ

一月二十六日(土)晴
桜木町にて映画『東京家族』を見る。言わずと知れた、小津作品『東京物語』の山田洋次監督によるリメイクである。時代は現代、それも2012年の設定で、家族構成や状況の多少の変化はあるが基本的には同じ。まあ、見る前から小津安二郎の偉さを証明するだけの映画になるのではないかという予想は誰でも持つだろう。小津へのオマージュだとしても、それを承知で敢て作った山田監督の勇気は称えるべきかも知れない。
元の物語と比べた時の俳優の感想だけ述べる。互角だったのは吉行和子夏川結衣。それぞれ東山千栄子三宅邦子がオリジナルだから、互角で十分である。吉行は東山とはタイプの異なる、今の世に居そうな優しい老母として存在感があり、逆に夏川は三宅と似た雰囲気の主婦役を過不足なく好演。私は三宅邦子が好きだったのだが、やはり好みの夏川が同じ役を演じたので何だかとても嬉しかったということもある。
笠智衆のやった父親役の橋爪功は、どうやっても笠と比べられて演じにくいと思われる中まあよくやった方だろう。ただ、顔が整い過ぎていて田舎者には見えず、違和感は最後まで拭い切れなかった。山村聰の長男医者役の西村雅彦は完全に貫禄負け。自慢の優秀な息子が医者になったにも関わらず、大していい暮らしをしているわけではないという落魄感は、見た目の立派な山村だからこそ出せるのであって、西村だと町田辺りの町医者をしていても、それで上々という感じになってしまう。これでは、母親の「わたしら良い方でさあ」という有名なセリフが生きて来ない。
そんな中、中島朋子は大健闘である。原作では杉村春子だから、もちろんその域には達していないものの、如何にもという嫌ったらしい中年女を演じて実にいい。今後の老け役も楽しみな女優で、この先良い作品に巡り逢えばもうひと花咲かせそうな予感がする。杉村の夫役は中村伸郎でこれも味はあったが、今回の林家正蔵も悪くはなかった。落語は下手だが自分のキャラ通りの演技ならできるらしい。東野英治郎がやった父親の友人役は小林稔侍で、これは東野をかなり意識した役づくりでご愛嬌といったところ。
さて、残ったのは原節子である。次男の嫁という役どころだが、それを蒼井優が演じた。ただし、設定が異なり、こちらでは次男の妻夫木君が生きていて、その婚約者が蒼井優。好きな女優ではあるけれど、どうだろう、ミスキャストかなあ。少なくとも原節子の足もとにも及ばず。しかも原節子の場合次男は戦死して未亡人という位置づけだから、見る方はどうしたってそれと重ねて、今更ながらに原節子の健気さや不憫さに涙が出てくる。蒼井優を見ながら、原節子の悲しみが身に堪えて泣けて来るのである。映画を見ていて、そのオリジナルの役柄に思いを馳せて泣くという体験は初めてであった。
映画の後みなとみらいで昼食をとってから元町に移動。谷戸坂を上り神奈川近代文学館に入る。二時より「芥川龍之介の一中節」と題したレクチャーコンサート。芥川と一中節について都一中が解説し、最後に芥川作の『恋路の八景』を吉原八景の節で演奏するというもの。初めての一中節だが、従って多少本来のレパートリーとは異なる。それでも曲節は一中節である。感想は、正直言って地味だなという一語に尽きる。悪くはないが、それほど惹かれもしない。まだ判断には早すぎるだろうが、少なくとも自分でやりたいとは思わなかった。贔屓筋が江戸の豪商たちだったというのも反感を覚える理由かも知れない。鳶の頭が習いにきたという新内の方が自分には近しい。
ところで神奈川近代文学館などと大げさな名前でありながら、横浜の生んだ大作家長谷川伸に関する展示がない。平岡正明師匠に対する言及もない。そのくせ縁が深いとは言えない漱石や鷗外の展示は充実しているというのだからバカ丸出しである。この文学館はクソのようなものである。神奈川県民の恥である。
それから元町に下り、足袋と箸置きを買って帰る。夜は明日のお初香に備え執筆の練習と所作の確認をしていたらあっという間に十一時になったので急ぎ就寝。