小田原 

十二月二十四日(月)陰時々晴
十時車で家を出て十一時前に小田原誓願寺に着く。家人の実家S家の菩提寺である。程なく岳父母、義妹も到着し、倶に墓参。それから蒲鉾の丸う、薩摩揚げの佐倉、さらに外郎本舗と小田原の王道とでも言うべき店で買物をしてから、これもまた老舗達麿にて天丼を食べる。内装は唐風を模し、高い格天井のある中々立派な建物である。それから小田原城の南、海岸にも近い南町に車を走らせ、家人の一家が一時住んでいた家の辺りを見る。家人は生れは函館だが幼少の頃岳父の実家であるこの地に一時住んでいたのだという。さらに、近くの小田原文学館を訪ねる。今年この手の文学記念館の類に入ったのは函館文学館、子規庵、森鷗外記念館に続いて四回目。そう言えば鷗外に関しては津和野の生家、明治村に移築された旧居、同じく旧居観潮楼跡の記念館、そして三鷹禅林寺にある墓と四冠達成である。それに次ぐのは芭蕉で、伊賀上野の生家、記念館の他幻住庵や深川、関口芭蕉庵などを訪ねているが、大津にある墓だけはまだ見ていない。来年何とかして行きたいものである。
さて、小田原文学館は土佐出身の志士で伯爵になった田中光顕の別荘だった建物を用いて、小田原出身や小田原に住んだことのある文学者の遺品などを展示する。田中光顕の目白にある本邸だった蕉雨園は香席で何度か行ったことがある。山県有朋の椿山荘と細川家下屋敷に挟まれた、時代劇などのロケにもよく使われる堂々たる純和風建築だが、こちらは南欧風の洋館である。白秋の小田原在住時代の写真等興味深く見る。川崎長太郎が小田原出身であるのは知っていたが、北村透谷や尾崎一雄もそうだとは知らなかった。小田原出身の岳父は川崎長太郎が街中を出歩いているのをよく見かけたという。
文学館を出て、敷地内に移築された尾崎一雄の書斎を見る。小さな書庫を含めて三間の小ぶりな建物だが、書斎はよく作家の生前を髣髴とさせるもので、本人の書になる掛け軸などを見ると、趣味も悪くなさそうである。特に書斎の小さな文机の先に立てられた、蘇軾の楷書の拓本を屏風に仕立てたものなど佳品であり羨ましい限りである。その作品は多分読んだことはないと思うが、書斎の佇まいを見て、読んでみようかという気にはなった。
さらに進んで白秋童謡館なる建物に入る。田中光顕別荘の別邸で、こちらは純和風。明治の政治家や華族の屋敷や別荘は、たいてい洋館と日本家屋ないし数寄屋造りや茶室とのセットになっている。表向きは洋服を着て洋館に住んでいるようでいて、プライベートでは着流しで畳の上にくつろいでいたのではなかろうか。ここでも白秋関連の展示を見る。わたしも架蔵する『香ひの狩猟者』が展示されていた。パネルに掲げられた写真で見る長男隆太郎君が可愛い。駐車場に戻り、国道一号線を平塚まで前後して走り、そこから別れて帰宅。