晩秋好日 

十二月五日(水)快晴
大船から座つて京濱東北線にて上野まで、其処で山手線に乘り換へ巣鴨に至る。十時の約に十分早く着くも既に兩先生及びS田先輩の姿あり。四人にて徒歩染井霊園向かふ。冬晴れの陽光降り注ぎ遮るもの無き日向の多き墓地は思ひの他暖かし。事前に打出したる園内案内圖を頼りに歩き先づ高村光雲始めとする高村家の墓、次いで天心岡倉覚三の墓を掃ふ。さらに如正先生の名付親てあり如道会創設時の理事でもあつた安岡正篤の墓前にて如道先生の作になる大和樂を献笛。二尺三寸管によるS田先輩と余の二管である。

其れから本日の主目的である馬場辰之助即ち二葉亭四迷の墓を拝す。墓石の書は宮島詠士先生の手になり風格ある書體は他の墓石墓碑銘を圧倒す。


合掌の後寫眞に収め、更に園内を歩み若槻禮次郎、福岡孝悌の墓など見た後隣接せる慈眼寺墓地に入り、芥川龍之介谷崎潤一郎司馬江漢の墓を拝す。龍之介の墓小振りなれど姿佳し。染井通りを駒込方面に戻り、途上利久庵なる蕎麦屋に入り早めの昼餉と為す。牡蠣フライ丼なるものを初めて食すに思ひの他旨し。銀盤二合を四人で輕く飲む。駒込驛まで歩み、地下鐡南北線にて四谷に移動。ニユーオータニ地階アーケードの喫茶店ぺしやわーるにて珈琲を喫す。此処にて家人も加はり総勢五名となり、向ひの紀尾井小ホールに赴く。二時より宮園節の公演也。そもそも平日なるにも拘はらず此の企劃を立てたるは、荷風の好みし宮園節を余の未だ嘗て聴く事なく、偶々此の會あるを知り予てより希望ありたる二葉亭墓碑の掃苔を併せ企てしもの也。古典會理事竹内道敬氏による解説及び熊野起請誓紙の展示等もあり、宮薗節の代表的な三曲を聴く。新内の対極とも言へさうな、抑制の効いた節回しや三味の音色は地味ではあるがしつとりとした味はひがあり、淡白な中に艶があつて流石に荷風が好むだけあつて玄人好みの何とも言へぬ魅力がある。余も一遍に氣に入るは事實なれど、では自分で彈いたり唄へるかといふと矢張一寸難しいやうな氣がする。宮薗節は江戸の面影を殘す音曲として愛好はすれども、自分で演つてみたいのはどうも新内の方であることが此れではつきりしたやうに思ふ。四時終演となり、竹友會の稽古のある令先生のみ道場に向ひ、殘つた四人は赤坂見附まで歩き其処から銀座線で新橋に出る。神先生馴染みの均一軒に入り、知る人ぞ知る名物鰺のたたきを肴に日本酒を飲みながら、宮薗節から末永節、玄洋社宮崎滔天等々と話題百出樂しい時を過す。飲み始めたのが五時前なれば七時半に到り店を出で外堀通り銀座ウエストに場所を移し珈琲を喫した後新橋驛にて先生、S田先輩と袂を別つ。歸宅其れでも十時となる。充實した一日と云ふべし。