冷遇と厚遇

三月七日(土)陰後雨
八時過ぎ六階にある日本料理の店に朝食に行く。二仟五佰圓もする朝定食である。今囘は招待されてゐるから良いが自分では絶對に行かないだらう。隣の席では一目で不倫旅行と分かる、初老の男性と若作りした綺麗目の中年女性が朝からビールを飲んでゐる。味の方は不味くはないが旨いといふ程のものではない。同じ値段を出せば祇園の琢磨ならもつと気の利いた味が樂しめる筈である。
其の後部屋に戻り入浴やら三つ揃ひを着るのに手間取つたりで出るのが遅くなり、時間が中途半端になつてしまひ寺町通りに出て珈琲店で時間をつぶす。其の後河原町の古書肆を見て廻るつもりが大學堂始め十一時を過ぎても開く氣配がない。しかも雨が降り始めたのでゼスト御池に降りて時間を潰す。やがて正午になつたので市役所前地下広場に赴き、Parasophiaの姉妹企画である驛ナカアート展のオープニングセレモニーを見る。實は其の展示をする某大學の作品に香りをつけるといふ企畫に余の務める會社が協力することになり、余が香りのコーデイネイトをしたのである。其の關係で、當日偶々京都に居ることを告げたら是非來てくれと某大學の准教授が言ふので行つてみたら、關係者や招待客は着座して式典に参加してゐるのに、余はただ通りすがりの者として遠くから眺めるのみである。余が行く事は言つてあるのに、何ら配慮はなされなかつたのである。しかも、其の後の参加各大學のプレゼンテーションにおいて、其の大學の学生は協力した我が社の名前も出さず謝意も表さず、其れに對し同じく我が社が協力したパリの美術學校の代表は本展覧會参加の意義や作品の意圖を明確に述べただけでなく我が社の同大學への援助や協力に對して賛辞を送つたのである。また、パリの學生は余が協力を受けた會社の者であることを知ると、京都市長から貰つた感謝状を寫眞に撮るよう示すなど、スポンサーに對するきちんとした對應が出來てゐる。對するに京都の学生のスピーチは學藝會レベルの拙さであり、背後に寫し出される畫像も、今の世にパワーポイントも使はずPCのフォルダーから一々寫眞を開いて見せるといふ段取りの惡さ。彼我のレベルの差は歴然としてをり、今後はパリの方のみに協力するやう会社廣報に伝へようと思ふ。別に偉さうにスポンサーを氣取るつもりはないが、企業が無償で協力することを當り前と考へるか、謝意をきちんと公衆の面前で伝へるかの差は大きいのである。プレゼン後もパリの學生は余が香料を提供した會社の者であることを知つて挨拶に來たが、京都の學生は先日研究所に來て面識ある者もゐるのに一切挨拶もなしである。
つまらぬ式典を傍観するのに晝の小一時間を費やしてしまひ、腹が減つたので寺町通りに出て末廣に入つて遅めの晝食として箱寿司を食す。再び中途半端な時間になつたので喫茶店で小憩の後、頼山陽の書斎である山紫水明處に赴く。『頼山陽とその時代』を讀んで以來訪ねてみたかつたのだが、見學は予約制でしかも三月は閉館と入口に貼つてある。止む無く同じ門を入つた處にある滴屋さんといふ男着物の店に行く。余は同じ店が横浜の六角橋に在つた時着物と袴を買つた事があり、夷川通りに店を構へてゐた際にも立ち寄つて羽織紐を買つたことがある。それで催事などの葉書を送つて貰つてゐるので、店が其処に移つた事も知つてゐたのである。來意を告げると羽織紐を幾つか出してくれた。そして不圖隣の山紫水明處の話をすると、店主が借りてゐる建物も頼家の子孫のものださうで、しかもその家から隣の庭が見えるといふ。それで上がらせて貰つて庭を眺める。主人は茶を淹れて余をもてなしてくれた。思ひがけず庭を見られた事と此の厚遇に余はすつかり氣をよくした。羽織紐を購入したのは言ふまでもない。銀座邊りの男着物の店だと拾數萬圓もする羽織紐を賣つてゐるが、流石に京都は気の利いた和装小物を適切な値段で買へるのである。
山紫水明處
三時半過ぎ滴屋さんを後にして河原町通りの東洋亭に赴く。其処の二階を借り切つて開かれてゐる某研究會に四時からゲストスピーカーとして参加。拾五人程を相手に一時間余りまづ余が喋り、其れから活發に意見交換、或は歓談となり、六時に一旦締めて歸る者もあり。其れから酒と食事が出て懇親會となる。出席者は大學教授を中心としたメンバーであり、談論風發、實に樂しい時間を過ごす事が出來た。余の拙い話も大いに興がつて戴き、政治から哲學、人類學、動物行動學、夢の話から往生要集まで話題は尽きず、竟に場所を京都ホテルのバーに移して殘る者五名。拾時近くまで近來にない樂しい時間を過ごす事が出來た。一介の會社員を大學教授が遇する事極めて厚く、有り難い夜であつた。