2012-01-01から1年間の記事一覧

瀧落 

十一月二十二日(木)晴後陰 車にて出勤。正午K氏と倶に退社、平塚驛にて家人並にK氏夫人を拾ひ東名経由沼津を通り、修禅寺近くの旭滝に到る。尺八古典本曲瀧落由縁の滝にて高さ百米を越える勇壮な姿也。周囲には虚無僧の墓や瀧落の碑などあり。滝の辺にて瀧…

五時から多忙 

十一月二十日(火)晴 定時退社し急ぎ歸り自宅近くの整形外科にて診察を受く。五十肩の左肩には先日のよりも強い注射を打たれる。又、足指の痛みは痛風に非ずとの見立てにて念の為レントゲン寫眞を撮るも異常見つからず。経過を見る事となる。歸宅し四十分ば…

不調 

十一月十九日(月)晴 定時退社し病院に寄らんと急ぎ歸るも途中で戝布を会社に忘れて來た事に氣付き、取りに戻つた為通院を斷念。歸宅後竹を吹くも鳴らず。余の所持せる一尺八寸管は竹楊銘三ツ判で大學一年の時求めしものなれば既に三十余年を経る。中々難し…

徳利と例會 

十一月十八日(日)晴 九時半家人と家を出で有樂町に到る。大江戸骨董市を見て廻る。義妹と合流し倶に晝食を取る。此の日備前焼の徳利を得る。家人と義妹は倶に出掛ける為地下鐡の永田町にて袂を別ち、余は早稲田迄乘車。二時より如道會例會。余はO君と松風…

雨中竹茶 

十一月十七日(土)陰後雨 八時家を出で十時より一如庵にて尺八稽古。大和樂、布袋軒鈴慕の後越後三谷二囘の後一尺八寸にて流し鈴慕曙調子を二度吹く。十一時半辞して古本屋を見るも得る物無く、晝食の後電車を乘り繼ぎつくし野に至り、徒歩家人の實家に赴く…

予告の實現

十一月十五日(木)晴 昨日記せし古裂會の落札不落札の顛末につき纏めたので下記に掲げる。 不落札顛末記 京都に古裂會といふ会社があつて年に數囘骨董品のオークシヨンを主宰してゐる。ぶ厚いカタログが送られて來て、それを見て期日までにフアツクスで入札を…

書幅

十一月十四日(水)晴 朝から喉痛み終日声の出難き状態續く。歸宅後八寸管を吹くこと日課の如し。一閑流六段を四回吹く。夕食前宅急便の配達あり、先日落札せし象山の三行書幅届く。秋の漢詩にて今の季節に相応しければ早速嶺庵に飾る。軸装の色調も秋らしく、…

注射 

十一月十三日(火)晴 朝大船驛まで三十數分掛けて歩く。定時退社。急ぎ歸途に就き家の近くのT整形外科にて注射を受く。五十肩の右から左に移りて久しく、左肩の痛み續き処方されし痛み止めの薬もさして効なければ竟に注射に至る。歸宅後尺八練習。最近は専…

着物と香木 

十一月十一日(日)陰後雨 夕方より雨の予報なれど着物にて家人と家を出で京濱東北線にて浜松町に到る。徒歩都立産業貿易センターに赴き四階にて開催中のきもの呉盟会の奉仕市に足を運ぶ。受付にて案内状を出すと、其れを送り寄したる人形町錦やのK氏が呼ば…

京都の休日 十一月十日(土)晴時々小雨

宿の近くの喫茶店でモーニングの朝食の後地下鐡にて丸太町へ。徒歩京都御苑に入り、無料公開中の閑院宮邸跡を見た後拾翠亭に至る。九条家の屋敷の一部、茶室として建てられし江戸期の建物也。九条池に面し、紅葉も眼下に眺むる好適の立地なり。余は予てより…

秋日晴雨 

十一月九日(金)陰時々細雨 八時半前宿を出で御池通りを寺町まで歩み喫茶店にてモーニングの朝餉。其の後ホテルオークラの裏手高瀬川沿ひにある廣誠院に赴く。秋の特別公開にて今囘初めて一般の観覧を許すと云ふ。但し由緒ある古寺にはあらで、薩州出身の政…

出張二日目 

十一月八日(木)晴 七時過ぎ起床。朝餉の後家人と宿を發ち桜橋交差点にて袂を別つ。家人は電車で京都に向ひ余は徒歩堂島の大阪支店に赴く。十時營業のM氏運轉の車にて、研究N氏と三人で奈良の得意先O社に往く。先方担当課長と面談。中華の晝食を取った後…

出張 

十一月七日(水)陰時々晴 午前新幹線にて移動晝過ぎ新大阪着。營業Y氏の車にて得意先D社に赴き三氏と面談。二時辞して高槻のS社研究所に往き香料提出。更に同市のS社本社に行き、五時と六時に各々別件の打ち合せを為す。其の後高槻驛まで送られ其処から…

炉開き 

十一月四日(日)快晴 十一時より岳母の社中にて炉開き。晝に汁粉を食す。久しぶりの炉の点前も良きものなり。此の日は朝から腹の具合惡く夜は自宅に戻り粥を食す。入浴して十一時過ぎ就寝。

掃苔と演奏会 

十一月三日(土)晴 九時半前家人と家を出で電車を乘り繼ぎ白金高輪驛に至る。余の生まれたる時兩親が住みゐたりし麻布新堀町や母方の實家のあつた白金志田町からは最寄りの驛なるも開通は比較的最近の事なれば、余は初めて此の驛に降り立つ。櫻田通りを上り…

つや姫 

十一月二日(金) 歸宅後車にて桂台の山食といふ米屋に往きつや姫五キロを購ふ。嶺庵公認銘柄とし而後基本的に此の米種を食す事を決したのである。良いと思ふと食べ續け使ひ續けることが多く他に贔屓の銘柄に、墨は古梅園、筆の一休園、原稿用紙は満寿屋、和…

耳の世界

十月三十一日(水)晴 宮城道雄著『春の海』(岩波文庫)讀了。盲人にとつて音が如何なる意味を持つかについて考へさせられる事の多い随筆集である。触覚や匂ひについての言及もあるが、矢張り音、それも樂器や音樂のそれではなくて生活の中にある様々な音に對す…

書と小唄 

十月二十九日(月)晴 雨の後にて空澄み切つて青く清清しき朝なり。通勤時大船まで三十分歩く。定時退社、歸宅後直ぐに夕餉を摂り、家人と車で出掛け鎌倉の原山先生宅に向ふ。家人の書道の先生である。最初小唄についての話を伺ふ。先生は亡き御母堂が小唄を…

多忙

十月二十八日(日)雨 午前、車にて出掛けガソリンを入れ灯油を買ひクリーニング屋に行つて夏物を出し食料品日用雑貨の買物の後歸宅。屋根裏から毛布、ストーヴ類を出し扇風機等を仕舞ふ。更に嶺庵にて書畫の軸を掛ける為の吊り具を取り付け、季節外れなるも象…

夏目坂根岸谷中

十月二十七日(土)陰 八時家を出で一如庵に向かひ十時より稽古。大和樂、布袋軒鈴慕、布袋軒三谷、流し鈴慕曙調子を二回。そして一閑流六段を二度吹く。學生時分に買つた一尺八寸が今になつて割によく鳴り出した。最近は家でも八寸をよく吹き、外曲も練習して…

蒲田澁谷 

十月二十四日(水)晴 營業報告会なるものがあり、其れを聞きに蒲田の某ビルに朝から赴く。午後五時終はり、東急線を乘り繼き澁谷に至る。古書センターにて近藤啓次郎『大観傳』、野口米次郎『光悦と抱一』を購ふ。七時より大和田傳承ホールにて本條秀慈郎三…

外食 

十月二十三日(火)陰時々雨 結婚一周年なれば家人と藤沢にて外食を為す。又、此の日來年の手帳を購ふ。今年のものと同じ高橋書店のリシエル五番である。今の処余の最も理想に近き手帳也。価一阡四百四十九圓。

骨董と端唄 

十月二十一日(日)晴 宿醉殘り睡氣甚しき中何とか起床。入浴の後着物に着替へ九時半過ぎ家人と家を出づ。電車にて有樂町に至り、大江戸骨董市を覗く。家人は扇子形の文鎮、余は舟形の水滴と印傅の名刺入れを購ふ。又、三味線の撥の形をした小さなストラツプ…

茶と花火 

十月二十日(土)晴 午前中嶺庵の掃除と衣更へを為す。晝前一人家を出で電車を乘り繼ぎつくし野に至る。岳父が車で迎へに來て呉れ家人の實家へ。丁度午前中の稽古が終はり皆で晝食を取る際中にて余も加はつて晝食と為す。薄茶一囘、包み袱紗一囘点前の後四時…

夢の部屋 

十月十八日(木)雨後陰 未明激しい腹痛に目を覚まし厠に駆け込み呻吟する事小半刻に及ぶ。恐らくは晝に食せし咖喱と夕食後に食べた賞味期限切れのヨーグルト、そして夜半暑くて布団を退けたまま眠り腹を冷やしたせゐであらう。國禁を破つて異國のものを食べ…

浪花節 

十月十六日(火)晴 宮崎滔天著『三十三年の夢』讀了。此の一週間外出や野暮用が續いた為思ひの他時間が掛かつてしまつた。讀み物としても無類の面白さであるが、自ら浪花節のやうな半生を終へて正に浪曲師に弟子入りしてしまふ処など傑作な人生と云ふべきで…

鎖人 

十月十五日(月)晴 偏屈極まつて余竟に鎖人と為す。鎖國に非ずして鎖人也。即ち諸外國の民との交諠交際を謝絶するもの也。もとより異國に住むに非ざれば日頃接する機会の無しと云へども、折節會社にとつ國の人來る事あり。中には余の海外駐在時の知己の訪ね…

根津谷中千駄ヶ谷

十月十四日(日)陰時々小雨 連日着物姿にて今日は家人と倶に家を出づ。電車を乘り繼ぎ根津に至る。徒歩根津神社に足を運ぶ。余は初めて詣づるも徳川将軍家より献納されし境内は広く楼門本殿透塀等の立派なる事に驚く。 根津神社 境内のベンチにて持参の握飯…

竹と絲 

十月十三日(土)晴 紬の着物に先日谷中で買つた帯を締め八時過ぎ一人で家を出づ。十時より一如庵の、久しぶりに一階の座敷で稽古。大和樂、布袋軒鈴慕、布袋軒三谷に流し鈴慕の曙調子を二度吹いた後初めて一閑流六段を吹く。雑談の後十一時半辞して地下鐡に…

墓参三絃

十月十一日(木)晴 晝まで仕事を為し午後半休を取り東海道線東横線地下鐡を乗り継ぎ本駒込に到る。驛より本郷通りを歩み曹洞宗の名刹吉祥寺に赴く。境内宏大にして墓域も広し。八百屋お七が吉三郎に出会ひし寺として名高く、山門を過ぎて左手にお七吉三郎比翼…