耳の世界

十月三十一日(水)晴
宮城道雄著『春の海』(岩波文庫)讀了。盲人にとつて音が如何なる意味を持つかについて考へさせられる事の多い随筆集である。触覚や匂ひについての言及もあるが、矢張り音、それも樂器や音樂のそれではなくて生活の中にある様々な音に對する感覚と観察の鋭さには驚かされる。春になると囀る鳥の鳴き声からそれが毎年やつて來る同じ鳥であることを知つたり、部屋の大きさや天井の高さを人の話し声の響き方から類推したり、物売りの独特の節回しや声の失はれつつあることを悲しんだりと、成程と思はせる事も多い。季節による音の違ひについての観察も興味深い。
余も目や鼻は鈍いのだが、昔から耳だけは良い方で微細な音の違ひや微音を感じとる事が多く、電車の中でも他人のバツグの中でブルブルと鳴る携帯電話の音が氣になつて仕方がない。本人がまるで氣付かないのは耳でも惡いのではないかと思つてしまふ。盲人のやうに目を閉じて耳だけに頼れば、もつと色々な音を感じ取れるのではないかとも思つてゐるが、實際には目をつむると直ぐに眠くなつてしまふのであるから、さてさて目明きは不自由なものよといふ事になる。
また、宮城道雄が内田百けん[門構へに月]と親しく、その百けん[門構へに月]が能く筝を彈くといふ事を初めて知つた。百けん[門構へに月]や尺八の吉田晴風との交友を綴る筆致にはユーモアも漂ひ、真面目な藝談と並んで中々讀み応へのある一冊であつた。
此の日の夜、匂ひに關する本の草稿チエツクを終へ、日本シリーズ第四戰を八囘裏からサヨナラで日ハムが勝つまでを見る。解説者が言ふ通り稀に見る好ゲームにて、巨人が負けて久々に溜飲の下る思ひ。夜になりて寒し。入浴して十一時過ぎ就寝。

それにしても百けん[門構へに月]と書かねばならぬとは…。ネツトもコンピユーターも亡國に資する惡意に滿ちてゐる。