根津谷中千駄ヶ谷

十月十四日(日)陰時々小雨
連日着物姿にて今日は家人と倶に家を出づ。電車を乘り繼ぎ根津に至る。徒歩根津神社に足を運ぶ。余は初めて詣づるも徳川将軍家より献納されし境内は広く楼門本殿透塀等の立派なる事に驚く。


根津神社
境内のベンチにて持参の握飯を頬張り午餐と為し池畔の鳥居を潜り稲荷社を巡りて裏門から藪下の道、根津裏門坂に出で不忍通りを渡り谷中に入る。路地を抜け臨江寺脇の三浦坂を上る。この邊り戰前の東京の面影をよく殘すと云ふべし。荷風の江戸や明治の東京の名殘りを求めて杖を曳きしが如くに余も戰前東京の風情を訪ねて谷中根津辺りを逍遥する事を好むやうになりぬ。坂を上り終へどん突きを右に曲りて狭き道を暫く辿れば着物姿玄關先に在り、目的の新内岡本派稽古所たるを知る。藝工展とて町中を使つた文化祭の如き催しの一つとして新内の演奏会あるを知りたるは十月六日の日乘に記せし通りにて、一時の開演にはまだ間があれど、どうぞ奥へと導れ草履を脱いで四帖半二間を繋げた稽古所の座敷へと上りぬ。見台の置かれし目の先最前列に座を進め待ちたるところ岡本宮之助師匠出で來て挨拶をなし、何でお知りになりましたかなど氣さくに話しかくるなり。宮之助師、余より一歳年上なれど見た目若々しく男前なり。昨日國立にも足を運びし事など語れば、お稽古始めてみませんかなど膝を進める氣配あり。又、余が尺八を習ひをる事を言へば、尺八演奏家の徳丸十盟師とは中學時代の同級生なりと云ふ。歳の近き事もあり親しみやすく、又此の稽古所の佇まひの庶民的な処も氣に入り、谷中好きの余としては稽古に通ひたき思ひ無きにしもあらず。
岡本宮之助師匠
やがて一時過ぎ開演となり、間近かに聴く新内節は格別なり。宮之助師は文弥師匠の昔語りなど噺家の如くに立て板に水の語り口、浄瑠璃の高声の美声と併せ耳の樂しみを極め尽すの感あり。

二時過ぎ終演となり、名殘り惜しくも三時から香席の約あれば急ぎ辞して善光寺坂を下り再び根津より地下鐡にて明治神宮前に出で、徒歩千駄木ならぬ千駄ヶ谷の妙喜庵に到る。門人六名程の少人數乍ら十炷香を筵ぶ。中々難しき組香にて余は十炷中二つしか當らず。家人は七つ當て正客に座る面目を施す。久しぶりの聞香なれば當らずと云へども一時の閑雅の時間を過すを得る。五時すぎ辞して歸途に就く。八時、鳥近の玉子焼を大根下しと煎酒に合せ酒の肴とし、日本酒一合に留めて蕎麦を食して夕餉となす。職人町人風情の好む新内から、武家の嗜み香道へと品は変はれど、食も含めて日本の文化傅統を満喫せし一日也。