鎖人 

十月十五日(月)晴
偏屈極まつて余竟に鎖人と為す。鎖國に非ずして鎖人也。即ち諸外國の民との交諠交際を謝絶するもの也。もとより異國に住むに非ざれば日頃接する機会の無しと云へども、折節會社にとつ國の人來る事あり。中には余の海外駐在時の知己の訪ね來るもあれど、余は敢て之を避けて席を離る。又新参の者あるも幸ひにして連れ來る邦人余に紹介の勞を取らざれば挨拶を為す事もなし。運惡く廊下等で行き会ひても余は全て日本語を以て接し、外國語の一語も發せざるを常とす。狷介にして狭量、不寛容の謗りを免れずと雖も止む無し。昨今余の生理西洋的なるものを受け付けざること甚し。洋食は胃腸が拒絶し、西洋音樂西洋美術の類も余を喜ばしめず。僅かに中國の書畫文物は愛好するに足るも、現今の彼の國民の様を観るに以て交諠に価せず。尤も其れを言はば我が國現在の國民の大方愚劣なること論を俟たず。斯くして偏屈は益々極まつて孤立独善へと至るも必然ならんか。