掃苔と演奏会 

十一月三日(土)晴
九時半前家人と家を出で電車を乘り繼ぎ白金高輪驛に至る。余の生まれたる時兩親が住みゐたりし麻布新堀町や母方の實家のあつた白金志田町からは最寄りの驛なるも開通は比較的最近の事なれば、余は初めて此の驛に降り立つ。櫻田通りを上り右手にある長松寺に萩生徂徠先生の墓を訪ふ。偶々江戸名所圖繪にて其の所在を知りて掃苔を思ひ立つもの也。墓石背面に刻まれし碑文は猗蘭侯本多忠統の撰と云ふ。


櫻田通りを戻り魚籃坂を上りて直ぐ左手に大信寺在り。三味線寺として知られ、江戸初期招かれて京より江戸に下り今日見る三味線の原型を作りし石村近江の墓在り。境内に入りて直ぐ左手に石村近江顯彰碑在り。昭和三十四年の建立と云ふ。周囲を廻る門柱に長唄協会、日本三曲協会と並んで宮城道雄の名あり。昭和三十四年と言へば既に道雄没後の筈なれば奇異の感を禁じ得ず。

此の日寺の催しのあるらしくテントの受付に人あれば近江の墓の場所を問ふに親切に最奥の墓所まで案内さる。鍵のかかる門の先に僅かに石村家先祖代々の墓を遠望するを得る。又傍らには五世杵屋勝五郎の墓もあり、併せて墓前合掌。寺域内に愛猫塚等もあり三味線寺の名にし負ふものあり。


樋口覚著の『三絃の誘惑』なる書を讀み此の寺の余の幼少過ごせし地域に在るを知り、三味線を習はんと思案する処なれば稽古に先駆けて三味線寺に詣づることにせり。大信寺を後にし坂を更に上つて魚籃寺の山門を潜る。此の寺は三輪にある遊女の投込寺として有名な浄閑寺の舊在地にて、浄閑寺移轉後の承應元年(一六五二)の創建と云ふ。

古色蒼然たる観音堂を拝して辞す。魚籃坂を戻り櫻田通りを越え三田豊岡町の一角に入る。
此処からちよいと文體を変へる事にしやう。さて此の豊岡町に、私が子どもの時分正月になると父に連れられて新年の挨拶に行つた頭の家があつた。その辺りを久しぶりに見てみたいといふのが今回の三田麻布巡りの抑々の発端である。それには、先日谷中の岡本宮之助師匠の談に、文弥師の元に新内を習ひに來る者の中に地元の頭も何人かあつて、文弥師の後ろ幕に纏の描かれたものを寄贈した事なんどを聞いたり、或は先日讀み終へた安藤鶴夫の『巷談本牧亭』の中で本牧亭の下足番留さんがこの世の中で何より鳶がいちばんえらいと信じこんでゐるといふ話なんどを讀んで、計らずも豊岡町の頭加村さんのことを思ひ出したといふ前段がある。
加村さんは二區四番の副組頭を務めた鳶職で、頭と言へば仕事師の頭に決まつてゐるが、今は頭だけでは何のことか通じないのかもしれない。ともかく此の頭が、何でも棟梁だつた私の祖父石太郎存命中に世話になつたといふことらしい。それで石太郎の伜である私の父が何かと目を掛けられ可愛がつて貰つたらしく、さうした恩もあるから正月になると必ず頭の元に挨拶に行つてゐたのである。私は正月に加村さんの家に行くのが樂しみであつた。魚籃坂下の大通りから横道に入つて狭い道の角を二度ほど曲がつた路地に並ぶ長屋風の建てものが加村さんの家である。玄關先の二畳と横に土間の台所、奥に六畳一間があるきりといふ、落語に出て來る長屋のやうな造り。鳶職だから當然正月のお飾りは立派である。「坊主よく來た。まあ上んなさい」とキレのいい江戸弁で迎へ入れて來れる。それから昔風の丁寧な挨拶の後父と世間話が始まる。大工と鳶といふ職人同士の世間話なのだが、それが何とも面白くて私は大人しくじつと聞いてゐる。江戸弁の歯切れの良さと独特な語り口に落語でも聞くやうな面白味を感じてゐたのであらう。酒を嗜まないのに興が乘れば都々逸の一つも唄はうといふ粋な頭で、江戸の名残り・明治の匂ひの色濃い話ぶりを聞けたことは、私にとつて職人の江戸弁を知るまたとない良い機会であつたと思ふ。岡本文弥師匠が住んでゐた谷中の岡本派稽古所に先日足を運んだ際、その佇ひが加村さんの家を髣髴とさせただけでなく、新内と頭衆との縁の近さも知つて俄かに加村さんの事を思はずにはゐられなくなつたのである。
さて、記憶を辿つて路地に入るがどうも様子が違ふ。勿論往時の面影はないのだが、歩き囘つてやつと恐らく此処だらうといふ処に辿り着いた。間口二間程の小さな家の並ぶ路地で、建て替へられ住む人も變はつたのだらうが、それでも周囲は少くとも昭和の匂ひが濃く、平成二十四年の港区三田といふ住所から人が思ひ浮かべるであらう様子とはかけ離れた、何とも懐かしい居心地の良い雰囲氣がある。怪しまれぬやう暫し佇んだだけで辞したが、家人などは谷中と似てゐながらも又別な、嘗ての東京の面影の殘る路地の様子を結構喜んでゐるやうであつた。
それから古川橋を渡つて私が生まれた時に住んでゐた麻布新堀町を歩む。私が三歳の時遊んでゐて車に巻き込まれ大怪我をした家の前の駐車場があつた処はマンシオンになつてゐた。半世紀程昔のことになる。其れから白金高輪の驛に戻り、南北線飯田橋へ。輕食をとつた後徒歩トツパンホールに赴く。二時より尺八とピアノのコンサートを聴く。四時前終はり、家人の體調も惡ければ其のまま歸途に就く。