2012-01-01から1年間の記事一覧

讀書計畫 十月十日(水)晴

草森紳一著『本が崩れる』讀了。此の人の著作とは當分付き合ひが續きさうである。直に次の書、即ち宮崎滔天著『三十三年の夢』を竟に讀み始む。松岡先生の千夜千冊上にて知つて以來讀まうと思ひながら久しく果たせずにゐた一書で、丁度機も熟したので讀むこ…

片岡凝蔵 

十月九日(火)陰後晴 長引く五十肩は右肩から左肩へと移つて腕は上がるものの可動域は狭まり、痛みは増してゐる。更に此の処酷い肩凝りが重なり、老體の不如意に氣も鬱して來る。歸宅後も重い二尺三寸管を持つ氣になれず久しぶりに一尺八寸管を吹くに思ひの…

鎌倉散策 

十月八日(月)晴 ヤンキースが勝つたのを見届けてから、午後一時過ぎ家人と家を出で、電車にて北鎌倉驛に往く。鎌倉街道を暫く歩き長寿寺を拝観。鎌倉にしては割と風情のある寺である。其れから亀ヶ谷切通しを抜けて英勝寺まで行き拝観。竹林の風にそよそよ…

きんとん 

十月七日(日)雨後陰 十時過ぎ車でN子の實家に赴き、晝食を挿んで三時過ぎまで茶の湯の稽古。少人數なれば人の稽古も見て、合間は雑談をするなど樂しく過す。門人三人は去り殘りたる内輪の者にて珈琲を飲み、其の後近くに買物に出て戻れば既に夕刻となり、…

上野人形町谷中 

十月六日(土)晴後雨 紬の着物を着け家人と二人上野に赴き、東京國立博物舘に往く。まづ本舘一階十八室近代美術の松林桂月「長門峡」に圧倒される。細密でありながら雄渾にして幽邃なること比類なき傑作也。平成舘に移り「尚意競艶―宋時代の書」展を見る。…

愛煙家 

十月五日(金)晴 嫌煙家とか嫌煙運動といふものが嫌ひである。余は煙草を吸はないが、嫌煙を言ひ募るやうな人と愛煙家を比べると、後者の方に味はひのある人が圧倒的に多い。禁煙をしやうとして出來ぬ人ほど滑稽なものはないし、青筋を立てて煙草を嫌がる人…

背反 

十月四日(木)晴 余に最早反骨精神といふやうなものはない。世の中に背を向けてはゐるが、それは世の流れに馴染めないからであるし、舊いものに惹かれるのも懐古趣味であるよりは、ただ其方に親しみを感じるからに過ぎない。支へてゐるのは諦めと抑制である…

日常

十月三日(水)雨 六時二十分歸宅。浴衣に着替へてから嶺庵にて家人と今週末の予定につき相談。其の後尺八と書の稽古。八時より夕食、納豆と味噌汁。食後讀書。珍しく夜入浴して十一時過ぎ就寝。

秋の氣配 

十月二日(火)陰 朝通勤で驛に向かふ道で今年初めて銀杏を見る。昨年であつたか街路樹として驛までの道に並ぶ公孫樹の枝がここまでやるかと思ふ程無殘に伐り落とされたにも關はらず、僅かに殘つた枝に葉を繁らせ、かうして實まで落とすやうになつた。植物の…

子規を想ふ 十月朔日(月)晴

柴田宵曲『評傳正岡子規』讀了。余が子規を夢中で讀んだのは大學四年後半から就職して一年目の秋頃までの事であつたと思ふ。岩波文庫で『飯待つ間』『松蘿玉液』『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』などを面白く讀み、子規の生涯の凄みと痛ましさに胸を打…

颱風接近 

九月三十日(日)晴後陰夜になりて風雨強まる 七時起床。着物にて九時半驛前の地球プラザなる施設に赴く。家人が参画する日本語を教へるボランテイアの會の、生徒によるスピーチ大會が開催され、幕間の余興として余が尺八を吹く事になつたのである。華人、越…

紙片癈棄 

九月二十九日(土) 終日家に在り。書斎の整理を為す。既に上梓せし書籍執筆時に資料として複冩したものの内不要と認めし分を捨て、草稿やメモ、或は郵便物を処分す。中に學生時代の仏蘭西語試験解答用紙の如きものあり。思ひの他複雑なる文章を解讀し得たる…

奇遇 

九月二十八日(金)晴後陰 朝の電車の中で『評傳正岡子規』を讀んでゐて明治二十五年に至り、昨日書いた鳴雪翁と猿蓑の話が出て來た。其の年子規は初めて根岸に移り住んだと云ふ。驛に着いて改札に歩むうち會社の者の姿を認め挨拶を交すと、其れが幕臣榎本武…

俳句の縁 

九月二十七日(木)陰 内藤鳴雪著『鳴雪自叙傳』讀了。とびきり面白い一書であつた。幕末の松山藩に生まれた漢學を好む侍がご一新を経て役人となり、更に旧松山藩の東京での寄宿舎の監督となる。其処で松山出身の正岡子規を知り其の影響を受けて俳句を始め、…

書と紬 

九月二十六日(水)晴 歸宅すると古裂會から小包が届いてゐた。象山の書軸である。又、此の日は家人が鎌倉の古着屋で余の紬の着物を買つて歸つた。多少光澤のあるグレーの長着と羽織で早速着てみると裄丈が僅かに短いが他は丁度好く其のまま着られる。安価で…

新橋秋葉原 

九月二十五日(火)陰時々晴 早めに会社を辞し東海道線にて上京。新橋で下車し、SL廣場で開催中の古本市を覗く。松岡先生の『遊学』I巻II巻を各百圓で入手。又森銑三著岩波文庫『おらんだ正月』を三百圓で購ふ。廣場周辺では幸福實現黨といふ氣違ひ共がガ…

氣散じ

九月二十四日(月)晴 パート先で意に染まぬ事があつてくさくさした氣分が去らず、秋の憂鬱とでもいふべき心持の儘歸宅。竹を吹く氣にもなれず浴衣に着替へて小田原は佐倉の薩摩揚を肴に獺祭を呑みながら西松文一の黒髪を聴く。ふと思ひたつてユーチユーブで見…

脱稿

九月二十三日(日)雨 午前原稿の手直し。晝前家人と車にて出で茶の稽古に赴く。余は初めて濃茶の点前をやる。夕刻歸宅し再び原稿に向かふ。夕食後竟に脱稿。早速メールにて送付。何だか一寸氣が抜けたやうになる。執筆中は終へたらあれもしやうこれもやりたい…

彼岸

九月二十二日(土)陰 九時半過ぎ車にて家を出で澁滞の中三鷹の実家まで行き兩親を乘せ麻布十番長玄寺に墓参に往く。十番で晝食の後家人を六本木駅まで送り、再び澁滞の甲州街道を実家まで戻り兩親を降ろし自宅まで下の道を通り途中ガソリンを入れて歸る。程な…

昭和の本 

九月二十一日(金)晴 昨日古裂會からの封書と倶に書籍小包も届いてゐた。其れは日夏耽之介の『荷風文學』で昭和二十五年刊行の古書である。戰後の本なのだが紙質が一定でなかつたり、焼けや染みも結構ある上、もともと左程造本に凝つたものではなかつたのは…

象山の書 

九月二十日(木)陰、夜涼し 歸宅すると古裂會から封書が届いてゐた。開けてみると同會の第六十八囘オークシヨンに余が入札してゐた佐久間象山の二行書幅の落札の知らせであつた。同會は出展品の型録を送つて來てフアツクスで応札するといふやり方で、眞贋を…

印 

九月十九日(水)雨後陰 先日、注文してゐた石泉印泥箭簇が届き、けふになつて家人が原山先生より「冽仙」の雅印を受け取つて來た。篆書で印稿を原山先生にお願ひしたのだが、大變良い出來で滿足してゐる。此れで何時でも揮毫できる訳である。又、宮島詠士先…

虹 

九月十八日(火)晴時々雨 日中何度か驟雨あり。ざあーつと降つてすぐに止み、その後日が照るといふ目まぐるしさである。何度目かの雨の後青空が広がるのに氣附き急ぎ外階段に出てみた。期待通り東の空に巨大な虹が掛かつてゐる。ほぼ半円で、上の方は多少霞…

執筆及び予約 

九月十七日(日)陰時々驟雨 宿酔にて頭脳の巡り低調なれど終日家に在つて執筆に勤しむ。此の日乘は満寿屋の二百字詰原稿用紙(No.101)にペリカンのスーベレンM800で書き、「広告」誌より依頼されし原稿には同じく満寿屋の四百字詰原稿用紙(No.111)にモン…

映畫と尺八 

九月十六日(日)陰時々雨 七時起床。八時二十分家人と倶に家を出で横濱に往く。九時半より西口ムービルにて映畫「あなたへ」を見る。夫婦どちらかが五十歳以上ならば二人で二千円と割引になる。シニアになるのも惡くはない。昨日も地下鐡で一つだけ席が空い…

松竹文樂 

九月十五日(土) 晴 七時起床、余は絽の着物に着替へ家人ともども和装にて九時半前家を出づ。京浜東北線車中にて急に腹痛を催し櫻木町にて下車厠に駆け込み事なきを得る。友人と待合はせのある家人は横濱で降り、余は其の儘東京駅まで乗る。徒歩丸善四階松…

荷風と書棚 

九月十三日(木)晴 夏と変はらぬ暑さである。昨日より神先生が面白いと仰つてゐた加藤郁乎著『俳人荷風』を讀み始む。手練れの文章の妙味と俳味が渾然として味はひ深し。書中に引く巌谷小波の『私の今昔物語』と日夏耿之介の『荷風文學』も讀んでみたくなり…

水曜 

九月十二日(水)晴 朝やや涼しくなるか。いつも通り出勤。晝休みには食後非常用の外階段のある踊り場でダンボールを敷いて晝寝すること日課の如し。日陰で風が通るのでこれくらいの氣候の方がかへつて涼しく眠ることが出來る。何処からも死角になつて人に見…

殘暑 

九月十一日(火)晴 朝宿泊先近くの米屋に赴き、つや姫五キロを町田の岳父母に送る手配を為し、其れから赤湯の駅に到り山形新幹線にて上京。さらに東海道線を下りて午後一時半出社。移動中の電車内にて筒井清忠『日本型「教養」の運命』をほぼ讀み了へる。

奉書にて文奉る 

九月十日(月)晴 昨日奉書巻紙に毛筆にて竹友安彦先生に宛て書簡をしたため、本日通信を添へて投函す。今日は出張にて山形縣に來る。夜会食にてダダ茶豆を食す。旨し。十時より宿泊先のTVで高倉健を追つたNHKの番組を見る。感ずる処尠からず。十一時就…