松竹文樂 

九月十五日(土) 晴
七時起床、余は絽の着物に着替へ家人ともども和装にて九時半前家を出づ。京浜東北線車中にて急に腹痛を催し櫻木町にて下車厠に駆け込み事なきを得る。友人と待合はせのある家人は横濱で降り、余は其の儘東京駅まで乗る。徒歩丸善四階松丸本舗に赴く。九月末を以て閉店の止む無きに至ると聞き、今月中他に行ける日も無きやうなれば此の日出向くもの也。松岡先生の無念を表せし書がレジ横に掲げられる。携帯電話のカメラに収む。

二冊を購ひて辞し、輕い中食の後地下鐡にて早稲田に到る。殘暑厳しき晝下りを日傘さして歩むに汗したたる心地す。一如庵に至り一時より稽古。余は先日米沢にて二部求めし宮島家三代の書の圖録のうち一部を先生に渡す。進呈する積りなれど固辞され代金を頂戴し、さらに平成五年に開かれし宮島詠士遺墨展の圖録を戴く。さらに何と宮島詠士先生の手になる半紙一枚をご恵与たまはる。落款こそ無けれど見まがふことなき詠士先生の書體にて、嬉しき限りなり。いづれ表装を施し掛け軸と為す積りなり。又稽古後の雑談に『俳人荷風』にて話題に上りし宮薗節の昨今の事情について訊く。邦樂通の神先生にして継承者の有るを聞かずと云ふ。二時過ぎ一如庵を辞し地下鐡を乗り継ぎ四谷に出る。上智大學の横を通つて紀尾井町ホールに至り、十月の本條秀太郎さんの端唄の会の切符を購ふ。其れから麹町を横切り半蔵門平河町に到る。西陽を受け暑さ極まりなし。地下鐡半蔵門駅上のカフエにて家人と落ち合ひ、冷やし珈琲を呑んで人心地つく。四時前徒歩國立劇場小ホールに移動し四時より文樂九月公演第二部を観る。竹本住大夫鶴澤清治共に休演といふ。傾城阿波の鳴門十郎兵衛住家の段、其れと知らず我が娘を殺してしまふ凄惨と、その原因をつくつたことで自分を責め續ける母、中々に辛きもの也。一方冥途の飛脚では三百両の大金を届けに出た忠兵衛が大阪の街を歩きながらいつそ其の金で愛妓梅川を請け出さうか迷ふ処や其の梅川と道行で奈良の田舎を行き暮れて霙にも降られ入相の鐘遠くに響く処など、確かに名場面にて忘れ難き印象を殘す。其れにしても咲甫大夫の声の通りや艶は、渋い年配の大夫連の中にあつて出色であらう。
八時十五分過ぎ終演となり、再び麹町まで歩き麹村なる居酒屋にて生ビール及び山形正宗の冷やおろしを呑み石焼穴子ひつまぶし等を食す。十時前店を出で帰宅十一時半。着物を脱ぎ終はれば心底ほつとす。深更に至り就寝。