氣散じ

九月二十四日(月)晴
パート先で意に染まぬ事があつてくさくさした氣分が去らず、秋の憂鬱とでもいふべき心持の儘歸宅。竹を吹く氣にもなれず浴衣に着替へて小田原は佐倉の薩摩揚を肴に獺祭を呑みながら西松文一の黒髪を聴く。ふと思ひたつてユーチユーブで見つけた宮薗節の録音を聴きたくなり、桃山晴衣の夕霧から始まつて新内、端唄を経て再び四世宮薗千寿の桂川恋の柵など聴くうちすつかり氣分も雲が流れ去る心地す。夕餉を挿んで秀太郎さんの端唄、文一の地歌に戻つて、食後酒にマツカランのシングルモルトをちびりちびりやれば、最前までの憂さも何処吹く風の上機嫌。余程単細胞に出來てゐるらしい。それにしても、ほんに三味の音色には、愁ふとみせてむすぼる気持ちを解きほごす力があるわいのう。