献奏

二月二十六日(水)晴
早朝家を出で午前中京都山科にて用談を済ます。午後も得意先に行く筈がキヤンセルとなり、自分ひとり山科驛に取り殘される。晝食の後京都驛に戻り其処から近鐡にて新田邊まで往き、徒歩酬恩庵に至る。一休寺の名で知られる一休宗純所縁の寺である。總門を潜つた後の参道も趣きがあり中々立派な佇まひである。拝観料を払つて入るとすぐ右に一休禅師の御廟があるので献奏したい旨を受付に申し出ると、方丈の禅師木像の前でなら構はないといふ。見ると禅師は皇族の為廟所は宮内庁管轄なのであつた。庫裏から方丈に上がる際連絡が行つたのか係りの女性が住持の許可を得て何処で吹いて貰つても構はないと言つて呉れる。一節切を愛した一休禅師のこと、尺八の献奏に訪れる者も稀ではないのであらう。寛容さに感謝しつつ禅師木像を前に二尺三寸管にて大和樂及び一休禅師作曲と伝へる紫鈴法を献奏する。其れから場所を方丈東北面の枯山水を望む縁側に場所を移し、流し鈴慕及び布袋軒鈴慕を吹く。暖かい午後の日差しもあり音も良く出て氣持ち良く吹くことが出來た。其れから境内を巡る。宝物殿では禅師頂相や書の他禅師愛用の一節切も展示されてゐた。一節切を見るに歌口は僅かに削られた程度であつた。さらに本堂や開山堂等境内を一巡した後辞す。歸りは京田邊から片町線経由にて北新地に至り、支店に寄つて打合せの後南森町の宿所へ行く。天神橋筋の古本屋數軒を廻るも得る物なし。ひとり夕餉を餐し早めに寝に就く。
本堂に向ふ参道。右手に一休禅師御廟所
方丈南庭
方丈北東角の枯山水石組
御廟と前庭。斜めになつてゐるのは菊の御紋の透かし彫りの間から撮影した為である。