二月二十六日(水)晴 早朝家を出で午前中京都山科にて用談を済ます。午後も得意先に行く筈がキヤンセルとなり、自分ひとり山科驛に取り殘される。晝食の後京都驛に戻り其処から近鐡にて新田邊まで往き、徒歩酬恩庵に至る。一休寺の名で知られる一休宗純所縁の…
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