愛煙家 

十月五日(金)晴
嫌煙家とか嫌煙運動といふものが嫌ひである。余は煙草を吸はないが、嫌煙を言ひ募るやうな人と愛煙家を比べると、後者の方に味はひのある人が圧倒的に多い。禁煙をしやうとして出來ぬ人ほど滑稽なものはないし、青筋を立てて煙草を嫌がる人ほど偏狭さを感じさせるものはない。JT關連の雑誌から原稿料や講演料を貰つてゐることもあり、余は陰ながら愛煙家の味方を以て自ら任じてゐる。自分で言ふのも何であるが、義理堅いのである。そんな事を思つたのは、今日の千夜千冊で松岡先生が草森紳一を取り上げてゐたのと、毎月たばこ総合センターから送られてくるTASCマンスリーといふ雑誌が偶々今日届いたからである。松岡先生は言はずと知れたヘビースモーカーであるし、草森紳一も殘された寫眞を見る限り殆ど常にシガレツトを手にしてゐる。名前は知つてゐても今まで讀んだ事のない草森だが、千夜千冊によつて俄かに興味を覚え、早速『本が崩れる』を註文すると倶に著作を調べてみると荷風勝海舟に關する本も出してゐて更に親近感が増す。一方のTASCマンスリーは、これが又クオリテイの高い誌面で、今号も鷲田清一の所論を面白く讀む。其の中で玉三郎が尊敬する三人の名が引かれてゐる。大野一雄杉村春子、そして武原はんだと云ふ。最初の二人に異論はない。しかし武原はんはどうだらう。もとより舞踊に詳しい訳ではないが、桃山晴衣の本を讀んでゐたら三味線彈きの間では余り評判が良くないとあつて、然もありなんと思つたことがある。まあ、余はユーチユーブで「雪」を見ただけであるから批評する資格はないのだが、素人受けはするかも知れぬが玄人にはどうかなといふ氣がしただけに、玉三郎の高評価が一寸意外だつたので。それとやはり鷲田が引用してゐる大宅映子の言葉「文學部とは、死ぬとわかつてゐて、人はなぜ生きられるのか。それを考へるところだ」も我が意を得たりであつた。さうした文學部的教養といふものが、寧ろ今の若い人にとつて生きる力として必要になつてゐるやうな氣がしてゐる。