秋日晴雨 

十一月九日(金)陰時々細雨
八時半前宿を出で御池通りを寺町まで歩み喫茶店にてモーニングの朝餉。其の後ホテルオークラの裏手高瀬川沿ひにある廣誠院に赴く。秋の特別公開にて今囘初めて一般の観覧を許すと云ふ。但し由緒ある古寺にはあらで、薩州出身の政商伊集院某の屋敷たりしを後の持主が佛堂を増築して寺院になるものと云ふ。見処は明治期の數寄屋建築や庭、園池に突き出た茶室などの趣にあり。無鄰庵や白沙村荘に比ぶれは小規模ながら其処に往まふ愉しさを等身大に感じさせる邸宅と庭にて、特に茶室の興趣は近代の此の手のものとしては白眉と云ふべし。特別公開の惡弊にて庭さへ寫真撮影を不許れば此処に示し得ざるを惜しむ而己。廣誠院を出で高瀬側に沿ふて歩むに傍に石像石碑を見る。近づけば佐久間象山先生遭難の碑也。寫真に収め、往時との周囲の變化に思ひを致す。
象山先生遭難之碑
鴨川を越え三条より京阪電車にで出町柳に到り、叡山電鉄に乘り換へ終點八瀬山口で降り徒歩瑠璃光院に赴く。小振りな山門に續く小径よりして趣きあり。二階の座敷からの眺めも亦嫣然たり。紅葉の盛りには早しと雖も比叡に近き山裾なればにや、色づく葉も市中よりは多く混じり、手入れの行き届きたる苔や庭石の折しも青空に降る小雨に濡れて美しき事言はむ方なし。




瑠璃光院
同じ経路にて三条に戻り、地下鐡にて烏丸御池に着く。近くの料理店にて晝食をとり、三条通りのえいたろう屋に赴く。昨夜見し反物を再び閲するに、色調風合ひ聊か趣きを異にす。同じ織りにて他の色も見せて貰ひその方が良く思へど今度はその色が夜どのやうに映るか氣になる。其処で夜三度來店することとして再び烏丸御池より地下鐡にて東山に到り、青蓮院、知恩院の脇を通り圓山公園を抜けて長樂寺に詣づ。
知恩院山門
圓山公園の紅葉
長樂寺は初めての拝観なり。受付で拝観料を払ひ貰つた案内圖を見るに頼山陽先生の墓在るを知る。建禮門院所縁の寺とは知れども古びたる平安の滝や収蔵庫の安徳天皇御影、相阿弥作の庭園など見どころ意外と多し。本堂横から山道を進んで頼山陽先生及び子息三樹三郎の墓を掃ふ。
長樂寺門前
頼山陽先生之墓
長樂寺を後にし西行庵の裏手にある道元禅師を荼毘に附したる旧蹟を訪ね當つ。京市内にある入寂の地は未だ訪ね得ずと雖も、此処に遺蹟在るを知りてより訪ねたく思ひ居たる宿願を果たす。西行道元芭蕉の舊蹟が極間近に並ぶ事の有難さを改めて感ず。
荼毘遺構
道元禅師遺跡より西行庵を望む
其れから二寧坂を上り、途上にある甘味処かさぎ屋にて善哉を食し小憩。此の店は時代に迎合せし外観品揃への多き此の辺りに在つて昔ながらの雰囲氣を殘し、しかも善哉は極めて旨し。聞けば丹波の小豆を使ひ味には拘るといふ。客も少なく老婆二人が守る小さな店なれど、このやうな店こそ京らしくもありいつまでもあらまほしきもの也。其の後産寧坂に入り、湯呑を求めんと京焼の店を見るに奥に樂茶碗あり。余一目にて氣に入り手に取ればさらに心惹かれる器なり。長次郎作五月雨の写しなるも、名のある作陶家の作になるといふ。店員詳しく説明す。乘り氣を見せれば安くなると言ひ、思ひの他値引きを提示す。思案の末竟に購入を決める。併せて日用に供する湯呑も特価品から選び購ふ。此れにて反物購入の余裕及び希望は著しく減ず。
五条通り方面に降り南下を續け京都國立博物館に到り、「宸翰―天皇の書」展を観る。着物屋は八時までなれば時間足りず稍駆け足の観覧になるも帝王の手を堪能す。電車を乘り繼ぎえいたろう屋に戻り、三度西陣製梨地の反物を見るも昨夜見し程の魅力も感じず購入を見送り、抑々探してゐた男物和装鞄を購入す。流石に散財甚だしければ、宿に近き手頃な中華料理店にて夕餉を取り宿に戻る。一日歩き疲れ、良き買物をした滿足と倶に早々に寝に就く。