観潮梅川

十二月八日(土)晴
十時より一如庵にて尺八稽古。流し鈴慕、一閑流六段を一尺八寸で吹く。早稲田驛より地下鐡を乘り繼ぎ東大前に至る。改札にて家人と落合ひ農學部の脇青年の道を辿り千駄木に進み、漱石旧居跡を見て後観潮楼に到るも未だ晝食をとらざれば団子坂を下り谷中大島屋にて蕎麦を食す。再び団子坂を上り、近頃新館落成せし鷗外記念館に入る。展示は見やすく解説も親切也。文學館記念館の類は時代が下る程展示の工夫優る事多し。五浦の天心記念館や山形の茂吉記念館などもさうした人々の來歴や営為をよく説明し貴重な遺品などを程よく配置して感心したることありしが、此の鷗外記念館も同様にて訪問の価値高し。特に各時代の文章を數行引き當時の鷗外の思想言動を知らしむる掛け軸の如き大きな幕に、文章が正字正仮名にて原文のまま用ゐられたるは文の京の名に恥じぬ文京區の見識の高さを示すと云ふべし。殘されし文物や手稿等に触れ改めて鷗外漁史を思ふ処少なからず。建物を出て庭に廻り、露伴緑雨と倶に撮つた寫眞で鷗外が腰掛けた、通稱三人冗語の石に余も腰掛け寫眞を撮つて貰ふ。



其の後しろへび坂を下り骨董古美術の店など覗きつつ谷中散策。途中甘味処で汁粉を食すも甘すぎて旨からず殘念也。三崎坂から美術院方面に曲り新内岡本派稽古所の前から細い裏道を通つて言問通りに出で、根津の驛から地下鐡で半蔵門に移動す。徒歩國立劇場に到り五時から文樂を見る。傾城恋飛脚は前囘の冥土の飛脚と同工なれば筋立てもよく知り、又先日の宮薗節でも道行相合炬燵は同じく忠兵衛梅川の浄瑠璃なれば、何やら極めて近しく思ほゆる御兩人也。八時半終演、急ぎ歸れど歸宅十時を過ぐ。