詩と短歌

八月二十六日(日)晴
石原吉郎の『北條』と『北鎌倉』を読み終えた。前者は詩集、後者は歌集である。石原への興味はわたしがこのところずっと持ち続けている戦中派への関心のつながりの中で湧き起こったものだ。安田武渡辺清、船坂弘の著作やその周辺の書物により、実際に軍人として戦場にあった体験や軍部の実態を知るに従って、いつしかシベリア抑留のことが喉につかえた魚の小骨のように、いつも気にかかっていた。そんな中で石原吉郎のことを知り、講談社学芸文庫の『石原吉郎詩文集』を読み、多田茂治の『石原吉郎「昭和」の旅』を読んで、改めて石原をシベリア抑留の人とだけ見ていてはすまないことに気づいた。石原の詩文における体験の凄みと思索の深みは、そのことば遣いの完成度ゆえに、わたしには氷のようにこころに冷たく突き刺さった。
シベリアに抑留された日本人の、壮絶とも悲惨とも、如何なることばを以てしても表現し得ぬ苦難と不運について、わたしは近衞文隆のことを追いかけていろいろ読んでいた際にはじめて実感として知ることになったのだが、戦場の殺し合いよりもさらに極限の状況とも言える、次第に明らかになったシベリア抑留の実態は、彼らが怨嗟を込めて言うように、確かに戦後の日本の中で忌避され、忘れられ、なかったことにされる傾向が強かった。彼らの生還後の日本での生活は厳しく、就職も難しかった。抑留が終わった後も、ソビエトという国の非人道性が彼らに残した苦難は大きかった。
それでも、アウシュビッツや原爆に代表される第二次世界大戦での悲惨な出来事にくらべ、語られることはもはや少なくなっている。先年小熊英二の『生きて帰ってきた男』が出て、シベリア帰りのひとりの男のライフヒストリーから浮かびあがるラーゲリでの生活の実態が、岩波新書という一般書の世界で久しぶりに語られはしたが、石原が詩と文章で帰国後もかなり時間が経ってから語り始めたことがらは、わたしには大きな衝撃だったし、そして何より石原の詩人としての業績と足跡に驚かされた。名前のみ知っていてどんな詩を書く人なのか知らなかった不明は恥じるべきだが、それでも多田の評伝を読んだうえで、あらためて石原の作品を読み得たことはわたしにとって幸いだったように思う。詩とは何かという問いに対する答えをいまだに見出せぬ自分ではあるが、石原の詩や短歌は石原の生涯や体験を知った上で読んだことで、より慈雨に似ためぐみをわたしに与えてくれたように思われる。何をどう感じ、どんな詩や短歌に魅了されたかをこの場では書かないけれど、石原吉郎という本当の詩人を知り得た驚きとよろこびを書かずにはいられなかった。シベリアのことを下敷きにするとより理解が深まるとは言え、シベリアのことがなくても石原の詩文は、日本語で書かれた文学というジャンルの中でも、とくべつな位置にあるものと今のわたしには思えるのである。