薫風問題

 会社の社内報のタイトルを「薫風」という。良い名前だと思う。それの英語版が出ていて、そのことを社史で取り上げたところ、スペルが違うのではないかと、何かにつけ細かい役員から指摘を受けた。わたしは「Kumpu」としたのだが、実際は「Kunpu」だそうで、確かめたらその通りであった。われわれが「くんぷう」と読むその音に近いかたちで外国人に発音して貰おうとすれば、恐らく「Kumpu」とした方が実態に近いものになるのではないかと思う。「くんぷう」と読むとき、われわれは「N」の喉の下がる発音をすることはないと思うからである。「くむぷう」と書いた方が正しいと思われるほど、われわれはこのときの「N」を限りなく「M」に近い喉の上の発音で済ませている。われわれの発音に合わせて「薫風」と呼んで貰いたいなら、絶対に「Kumpu」とすべきものである。それを「Kunpu」とした言語感覚の無さにわたしはがっかりする。そもそも「Kunpu」とする根拠は何か?いわゆるローマ字表記とするのであれば「Kunpuu」とすべきものであろう。それならばわたしは譲歩する。それでよしとする。ところが、そうせずにいて中途半端なローマ字もどきで実際の発音から遠ざかる表記にすることに、わたしは断じて納得がいかないのである。音韻学の詳しいことはわからないが、次にp音などが来る場合に「N」としてはっきり発音することは難しいので、より軽い「М」音で代替されることが多いものと思われる。音感と表記に対する感覚、すなわちことばへの感性を大切にしているわたしにとって、当初に何気なく「Kunpu」としてしまった人(だいたい見当はついているが)の凡庸さはがっかりさせられるものであった。