風車

十二月二日(金)雨後陰
わたしは風力発電用の風車が大嫌ひである。あの常軌を逸した大きさと醜い姿を目にする度に虫唾が走るのである。自然の景観をあそこまで醜悪にするインパクトは相当なもので、風車が無数に並びたつて廻つてゐる様など凄まじいを通り越して此の世の終りといふ陰惨さを感じてしまふ。原子力も嫌だが、だからといつてあんなものが群立するのは真つ平御免蒙りたい。あんなものを喜んで見に行く人の美的感覚を疑ふ。笑へるのは、風の計算を間違へたのかちつとも廻つてゐないのも少なくないことだ。大金はたいて地方自治体が建設して、結局役に立たずに壊すのにも大変な費用が掛るといふので、建設を推進して設計した大学教授を訴へたといふ報道も目にしたことがある。ますます嫌悪感が募る。
さうしたら、今日さらに風車による超低周波音による健康被害についての情報を目にした。不眠や動悸、頭痛などの症状が、風車に近い地域では覿面に激増するらしい。実際風車を乱立させた伊豆半島ではさうした健康被害が問題になつてゐる。景観も住民の健康まで破壊して何ほどのものが得られたのか。ここまで来れば風力発電は立派な犯罪である。見た目の不快感だけでなく、人の体調を狂はす音まで出すとなれば、こんなものはない方がいいに決まつてゐる。九州佐世保五島列島宇久島では健康への懸念から風車建設反対運動が起り有権者の七割の反対署名が集まつたといふが、もつともな話である。国や業者は健康被害と風車の超低周波音との因果関係を否定してゐるらしいが、きちんと調べて賠償金を払はせるべきであらう。そして、既にあるものは撤去して、日本からあのヒユーマンスケールを無視した化け物が消えてなくなることを願ひたい。
そもそも、何ごとであれ公共の建造物を作る際には計画の段階で「環境アセスメント」ならぬ「五感アセスメント」をすべきではないだらうか。五感を活用も信用もしなくなつて以来、それまでなら未然に防げてゐたかもしれぬさうした不備や不具合が罷り通るやうになつた印象がある。それは所謂マニユアル化やISOの普及と時期を同じくしてゐるに違ひない。好き嫌ひを甘く見てはいけない。直感的に「嫌ふ」からには五感がそのまやかしや不具合を感じ取つてゐる可能性が高いのである。