悪魔の誘惑

ひとつ分かつたことがある。わたしが八斎戒で夕飯抜きでも比較的平気でゐられるのは、要するに家にテレビがないおかげだといふことである。一昨日は六斎日に当り、わたしは堺町御池に近い安宿に泊まつた。寒いこともあつて夜はずつと部屋に居てテレビをつけて見てゐたのだが、驚く程人がものを食べるシーンが多い。所謂グルメ番組でなくても、ドラマであれニュースであれ、其の他様々な番組でも、とにかく食べるシーンと食べ物やレストランに関する情報に溢れてゐる。其の上絶へず美味しさうな食べ物やインスタント食品のコマーシアルフイルムが流れてゐるのである。見れば食べたくなつて買ひに出る人もあるだらうが、断食をして空腹を抱えた人間には殆ど拷問に近い。飽食の時代と言はれて久しいが、世の中の食べることに対する執着は凄まじいばかりである。
それにしても、普段テレビに慣れてゐる人たちは余り意識しないことかも知れないが、テレビはまさに欲望を作り出し、欲望を煽ること以外の何ものもしてゐないといふことが、偶にしかテレビを見ないわたしにはよく理解できるのだ。穏やかに地に足を着けて生きるためには絶対に見ない方が無難であると思ふ。どんなに素晴らしい番組があつたとしても、弊害の方が余りにも大きいと思ふのだ。若くて信じられないくらゐ可愛い顔をした女の子が微笑んだり甘えた表情をして見せたり、美しい素肌を露はにしてゐるのを見てゐれば、わたしは何とも言ひやうのない欲望が胎動し始めるのを感じる。普段の生活では感じない類のもやもやした、まるで思春期に逆戻りしたやうな悩ましさである。
マーシアルなども美しい女性ばかりが出てくるから、デジタル放送の克明な画面では余計に綺麗に見え、逆にニユースなどで出てくる歳をとつたアナウンサーなど、失礼ながらテレビで鮮明に写して欲しくないとさへ思つてしまふ。そんな事を思ふ自分が情けなくもあり、一方で普段の生活では見かける事もないやうな美しい女性の、どこを注視しても許される映像といふものに胸の鼓動が高まりさへするのである。
テレビはわたしにとつて悪魔の誘惑である。番組は選べるが人はコマーシアルには無防備なのである。何の脈絡もなく選択しやうもなく目に飛び込んで来る数々の刺激の連続…。そこに欲望を掻き立てるノウハウの限りを尽くした悪意の塊をわたしは感じる。わたしは出来る限り美しい女性たちから遠ざかつて生きたいと思つてゐるが、其の為にもテレビは避けるに如くはない。現代の八斎戒として、まずテレビ・ラジオから遠ざかることを提唱したい。今後はもしテレビを見られるやうな状況にあつても、六斎日には決してテレビを見ない事を誓ひます。