妙心寺五塔頭巡り

一月三十日(日)
八時過ぎホテルを出で、本能寺の前にあるカフエで朝食を取り目の前の市役所前バス停から京都バスにて円町駅前に至る。昨日より寒さはかなり厳しい中徒歩七・八分で法輪寺に着く。臨済宗妙心寺派の寺院で達磨寺として知られる。三百円払つて本堂に上がる。庭はやや荒れた感じはあるが石組は見事である。ただし日向でもじつとしてゐられぬ程寒い。とにかく写真機に収めてから達磨のコレクシヨンなどを見て早々に辞す。



[法輪寺の石庭]

其れから妙心寺道を妙心寺まで一キロほど西に歩く。すると途中で北野神社御旅所であるとか成願寺といふのがあつて中に入つてみる。先日読んだ『寺社勢力の中世』や『町衆』の記述も思ひ出され、知識として得たものを実地に残るものに見て成程これかと納得できる楽しさが京都にはある。特別調べて行かなくても、歩いてゐて出会ふ建物や案内板から意外な発見をすることも多い。歴史を知れば知るほど、断片的な知識が京都の町を歩くことでいろいろなものとのつながりが見えて来るのである。
妙心寺花園会館に着き、「冬の京都」スタンプラリーで三箇所押して貰つた券を出して抹茶と菓子を戴く。余りの寒さに暫く暖を取る。其れから同じく冬の特別公開である妙心寺塔頭海福院に行く。福島正則の槍や肖像、墓、及び押入仕込茶室などを見る。妙心寺大徳寺と違つて茶は禅の修行の邪魔になると嫌はれてをり、隠れてこつそりと楽しむ為に襖を閉めれば炉や水屋が隠れるやうに作つたといふ説明。確かに大徳寺に比べれば少ないかも知れないが、妙心寺塔頭で幾つか茶室を見たことのある余にとつては余り納得の行かないものであつた。特別公開の寺院は大抵庭は写真を撮つても良いが中は駄目といふことが多く、従つて茶室も撮影できないのは残念である。
海福院を出て法堂周辺を歩く。今まで三回出たことのある妙心寺大衆禅堂の土日坐禅会に参加して其の儘居残れば此の日の寺院巡りには丁度良かつたのだが、流石に此の一番寒い時期に窓開けつ放しの禅堂で蒲団一枚で寝ることや朝四時の是また風通しの良すぎる法堂での坐禅に怖気を震つて宿をとつた次第で、何となくきまりが悪い。再び花園会館に戻り、昼食付妙心寺非公開寺院巡りの受付を為す。是は一度ネツト上の観光協会の頁で見つけて5200円の予約をした後花園会館に直接申し込めば3800円になることを知り、予約仕替へたもので、旅行代理店のぼつたくりに危ふく引掛かるところであつた。十一時半受付開始で、急ぎ先ほど一茶を喫した「花ごころ」といふ店にて正午までに食事を終へる。其の後一時までロビーの売店を見て線香や色紙を購ふ。
一時前になると和尚さんが現はれ点呼を取り、十人弱の参加者を引き連れて妙心寺境内に入り、所々で説明をしてくれる。天祥院、玉龍院、大法院の順に和尚の先導で学生らしい手伝ひの数人と参加者で廻つて行くのである。天祥院では狩野山雪の「老梅図」の複製、玉龍院は武将生駒一族の御霊屋がメインで、見所が一番多かつたのは大法院だが、入つてすぐ此処には来たことがあると気づいた。即ち今は通年公開を中止してゐるが、前はいつでも見られる塔頭だつたのである。一寸騙された感じだが、部屋の中や茶室の撮影も許され、墓地に入つて佐久間象山の墓も見られたので好しとする。象山の書は明らかに黄庭堅の影響を受けてゐるやうに見受けられる。だから好きな字なのである。此処の庭は完全な露地の庭で修行からかけ離れてゐるやうに見えるから、先ほどの説明も納得が行かないのである。


[凍つた水]

[佐久間象山の書]


[露地と茶室]

[佐久間象山の墓]

和尚さんにいろいろ質問もして、妙心寺派では昭和になるまで妻帯が許されなかつた事や、今でも管長や師家になる人は妻帯しないことが暗黙の了解であることなどを知る。流石に持戒については聞けなかつたが、禅寺の事情についてあれこれ知ることができた。二時半前には大法院前で解散となり、余はもうひとつの特別公開塔頭である麟祥院に行く。こちらは三代将軍徳川家光の乳母春日局ゆかりの寺で、海北友松の子友雪の描いた「雲龍図」が見事である。春日局の木像もあつて、中年の容姿ではあるものの現代的な綺麗な貌をしてゐる。三時過ぎに其処も辞して花園会館二階の控室で一茶を喫して暖をとつた後妙心寺前バス停より再び京都バスで寺町御池まで戻り、ホテルで荷物を受取り、地下鉄で京都駅へ。雪での遅れも懸念され、また余りに寒くて歩き回る気も失せたので予定より早い新幹線で帰浜。寒くはあつたが収穫の多い旅であつた。