石塔と若冲

一月二十九日晴
七時起床、八時前宿を出て地下鉄にて烏丸御池に到る。歩いて今日の宿に行き荷物を預けてから市役所前よりバスに乗る。京大農学部前で降り初めて京大構内に入る。入試の時期なるか構内人の姿少なく、一方で路上に置かれた自転車の多さに驚く。人影が殆ど見えないせゐもあらうが、常に人の多い東大や早稲田とはかなり雰囲気が異なり、建物の整然と街路に並ぶ様は、余が京大に対して持ちたるイメージとやや離れる。京都学派の哲人たちへの憧れはあるものの、さうした学風の名残を感じさせる佇まひを終に見出せぬまま正門から出で、すぐ近くの吉田神社及び大元宮を参詣。吉田神道が好きになれぬ事もあつて信心は起こらず、吉田山にも神寂びた霊威を感ずることなし。吉田山を登り竹中稲荷から白川方面に下り、白沙村荘に至る。


[竹中稲荷より真如堂方面を望む]

白沙村荘は日本画橋本関雪の旧居にて今は記念館となり其の庭園で名高い。関雪の作品を収めた展示館も併設さる。余は邸内の座敷で昼食を取れる入場券三千五百円を買ひ求め、六斎日なれば正午前に食べ終へられるやう十一時過ぎに食事が取れるやう申し入れるに、心地よい対応にて応諾さる。


[白沙村荘]

さて其の庭といふのが関雪が田圃であつた此の土地を購入し、少しずつ周囲を買ひ足しながら自ら庭の造作に関はつて自らの理想と趣味に基づき作り挙げたものにて、三千坪以上の敷地に意趣を凝らす。燈篭や石は当然のこととして、関雪は特に石塔を好んだらしく苑内ところどころに是を置き、其れがまた極めてしつくりと雅致に適ふのである。余は丁度佛前読經問題に関連して佛塔や其の変容の果ての石塔にも関心の強い時だけに、さながら石塔美術館の如き庭内を興味深く見る。自然石の趣味もまた良く、すべて関雪本人が探し求めて置く場所を定めたものとの事で、其の審美観の優れたること疑ひを入れず。四条派即ち広義の円山派に属するとは言へ其の画風は必ずしも余の好みには非ざれども、日本の美意識のひとつの頂点を極めたる画家と言ふべし。庭内散策及び展示の書畫を楽しみ、正午前に京料理の午餐を終へ満足して白沙村荘を後にす。



[石塔]

 其の後法然院を経由し光雲寺に到る。今年の「冬の京都」の特別公開寺院にて大河ドラマの主役江姫の娘で後水尾天皇中宮になる東福門院ゆかりの禅寺也。近年七代目植治の作庭を再整備したばかりの庭も見事也。また佛舎利塔や舟に乗る観音像や綾瀬はるかをふつくりとさせたやうな美形の東福門院の木像は彩色も鮮やかで、見所の多い寺也。略史を『雍州府志』より引けば下記の如く也。

南禅寺、大明国師の創建にして始め摂州大坂芝の地に在り。中絶やや久し。南禅寺天授菴英仲和尚此の寺を南禅寺の北に再興し霊芝山光雲寺と号す。此の寺の建立の時、東福門院故有りて黄鐐若干を寄せらる。且つ門院の持佛、釈尊の像を賜り法堂の本尊とす。然して後公方家自り二百石の寺産を寄附す。東福門院及び女三の宮此の寺に帰依す】

 東天王町よりバスで清水道まで下り、同じく冬の特別公開の建仁寺塔頭两足院に足を運ぶ。等伯の障壁画に再会し博物館より間近に其の筆致を見て感激を新たにす。庭もよく、更に床の間に掛けられし若冲の「雪梅雄鶏図」も近くに見て、之もまた絶品であつた。構図の妙と色彩の鮮やかさと細部の写実性といふ三拍子の揃つた傑作にて、硝子に遮られることなく、本来在るべき姿にて具に見られたのは幸ひであつた。


[两足院]

さらに特別公開の建仁寺塔頭正伝永源院に行く。此方は織田有楽斎墓所にて肖像も有り、如庵の写しの茶室もあつて面白く見る。此処を出たのが三時半過ぎで、此の日は思つたよりは日も照つて寒くはなかつたものの、次第に寒くなり始める。


[如庵の再現茶室]

祗園から四条通りを西に行き、結局いつも通り大好きな寺町通りを北上。其中堂では普通の本屋では置いてゐない佛教関連の本を実際に見られるので結構な時間を過す。鳩居堂では美しい香道具や文具を見ては其の高額に溜息をつき、よく行く骨董屋でも改めて欲しいものの当てをつけては結局何も買はず、印房で安い筆筒だけ購ひて宿に帰る。此の日は六斎日なれば夕食は取らず。