体調不良

八月二十五日(雨後陰)
朝起きると目眩がした。気持ちも悪く食欲もない。とりあえず起きて様子をみるが、大事をとって今日の茶の稽古は休むことにする。横になるとかえって目が廻る感じがあり、椅子に座って本など読む。夕方それでも眠くなって寝た後は少し良くなる。
夜『リヨンで見た虹』読了。明治立志伝中の人物のひとり、稲畑産業創業者稲畑勝太郎の評伝だが杜撰な本で誤記が多い。フランス語の発音を知らない表記ミスは仕方ないにしても、化学と科学が混同されていて誤植に苛立たされた上に、内容的にもほとんど参考にならなかった。小説じたての会話の文も稚拙だし、合間に入る現代日本批判も薄っぺらでうんざり。これなら『稲畑勝太郎君傅』を読めば十分である。評伝というのは書き手の力量が相当問われるものなのである。
あらためて、先日読んだ『女の海溝』の書き手の力量を思い知る。こちらはお雇い外国人で日本の地震学の父ジョン・ミルンに嫁いだトネの評伝。函館での松岡先生の話に出てきたブラキストン・ラインのブラキストン自身が重要な人物として登場していて驚く。ブラキストンラインとは、動植物の分布境界線のひとつで、津軽海峡を挟んで本州と北海道で分布の明確な違いが見られることを示す。ブラキストンは函館に長く暮らしたスコットランド人で商人。明治初期のお雇い外国人にはスコットランド出身者が多いが、スコットランド人脈の元締めの一人がブラキストンであった。
このところ、明治のお雇い外人に興味があり、吉田光邦の『お雇い外国人・産業』も読んでこちらは大いに参考になった。電気は日本に導入当時、欧米でも最新のものだったために追いつくのも早かったこと、その電気は当所電灯と通信の用途が中心であったこと、逆に電気の動力エネルギーとしての活用が、それまでは、動力源として工場内に蒸気機関等の設備まで設けねばならなかった生産現場のエネルギー事情を劇的に変えたことなど、目から鱗の落ちる思い。言われてみればその通りなのだが、今当たり前にあるものがなかった時代への想像力というのは、得てして働かせにくいものであるらしい。評伝の醍醐味とは、このマイナス方向に働く想像力によるのではないか。
普通のフィクションがプラス方向の想像力で成り立つのと逆方向ではあるが、想像力を必要とする点では同じであろう。そう、『リヨンで見た虹』と『女の海溝』の面白さの違いは、その辺の想像力の差に由来しているのだ。