舎密と銅駝

八月二十九日(木)晴
明治三年(1870)、京都に舎密局ができる。舎密とは、セイミと読み化学を意味するラテン語オランダ語読みを音写したもので、化学という訳語が定着するまではよく使われていた。宇田川榕菴には『舎密開宗』(せいみかいそう)という訳書もあるのだが、これなどどう見ても仏教用語にしか見えない。祇園精舎密教、という感じだし、実際、舎密宗という宗派があってもさほど違和感はない。阿含宗と論争していそうである。しかも、招聘した外国人教師の名がハラタマというのも面白い。実際にはオランダ人だったらしいがインド風の名前に聞こえる。波羅密多ならぬ波羅多摩と書けば、お釈迦様の十大弟子にでもいそうである。舎密局の跡地には現在京都市立銅駝美術工芸高等学校というものがあるそうだ。この銅駝(どうだ)という地名にも何となく仏教くさい響きがある。河原町通りの二条の少し北の、鴨川方面に向かったあたりにあるらしい。よく行く方面だから、今度京都に行く時には見に行こうと思っている。

本日、『あまちゃん 能年玲奈 featuring 天野アキ』を買う。「見つけてこわそう」の衣装や神技ゼミナールのポスターがなかったのは残念だが、アキちゃんの魅力満載で、おじさんデレデレである。あまちゃん50の質問というありがちなコーナーがあって、一番かわいいと思ったのは、Q.もしもまた宮藤官九郎さんのドラマや映画に出演する機会があったらどんや役をやってみたい? に対する答え「人を殺せない殺し屋。万引きGメン」である。アキちゃんの万引きGメンは、それだけで何かドラマのにおいがしてくる。とにかく、「あまちゃん」が終わるのを世界の終りのように恐れているおじさんたちは数限りないのであろう。